上のピクチャーは友達の鈴木弘一氏が贈ってくれたデジタル画像である。
もしもスピナーがミニだったらという想定の元に描かれている。最近の私のお気に入りのピクチャーの一枚である。
ブレードランナーがより苛酷な低予算映画であったなら、ひょっとしたら、こんな警察車輌もありえたかもしれないという、これはマァ、ちょっとしたアソビである。
米国のブレードランナー・マニアにあって知らない人はまずはいないという存在のSwanson氏が、昨年、その頃はまだ日本で公開されていなかった映画「DARK CITY」のVTRを、これはオマエも是非見ろ、文化の伝搬がこれを見るとよ〜く判るゾと、半ばの強制でもって送ってくれたコトがある。
それから一年・・
映画「マトリックス」を見るに至り、Swanson氏のいいたいコトが、ダイブンと判ってきた。
映画というカテゴリーのその美術的様式としていえば、例えば「メトロポリス」の摩天楼が「ブレードランナー」でもって引用かつ延長拡大され、それが「攻殻機動隊」でもって細化されるといった、『継承』が見えてくる。
主題でいえば、「ブレードランナー」のそれが「攻殻機動隊」に運ばれ、後に「マトリックス」に連なるような深化と拡大が見えてくる。
「DARK CITY」に眼を転じれば、これが「ブレードランナー」と「攻殻機動隊」と「ビューティフル・ドリーマー」を下敷きとしつつも、そこから飛翔しようとした作品であるというコトが判ってくる。
誰かのアイデアが誰かの手でさらに大きく膨らんでいく気配、濃厚である。
雪だるまが大きくなっていくようなイメージの膨張である。
上記した映画のテーマは一様にみな同じである。
人間って何だという問いである。
それへの彼らなりの一つの回答である。
「ぁあ、ブレードランナーの真似じゃん」
ちょっと前までは、映像やらコミックに散見するブレラン的なモノと遭遇すると、そんなコトバが口をついて出たものだけど・・ 最近はただ単にそうでもないぞと思うようになってきた。
アイデアの盗用といえばミもフタもないけれど、イメージの連鎖の気配を考えると、他者のイメージをただ転用というのでなく、そこから一歩飛翔しようとする作品は、大いに評価してよいと思うようになった。
驚きを更新してよいと思えるようになった。
誰かが描いたイメージが、引用され、増幅され、多少にカタチを変え、やがて、附加から新規なモノへとイメージが飛翔していく・・。
文化の多くは突発でなく、流用、転用、引用、されて行くに連れ、カドが丸くなったり、逆に新たに尖った部分が生じてきたりするもんなんだなという、そんな、傍観としての感慨でアル。
この事は「ブレードランナー」の中にも、実はしっかり描かれている・・・・
暗い、雨の降るあの2017年の街の一画で、スピナーの向こうを、1台の古いクライスラーが通っていく。
スピナーとて、こういった旧車の延長上にあると思えば、文化の位相というのは、結構ゆるやかなもんなんだなぁ、という感想が湧いてきもする。
未来という、文化の伝承者たる時空が、今に連なっているというコトを一瞬のこのシーンに凝縮させたR・スコットの眼の確かさと、それをフイルムに定着させた手腕は、やはり見事としか云いようもない。
ちなみに、画面上に登場のこのクライスラー・インペリアルは、かのウルトラセブンのポインターの元となった車でもある。
知らなかったデショ。
実は……
先夜、ポインターのレプリカを所有するS氏に指摘され、当方もはじめて気づかされたのだ (^0^) |
|