グラグラ揺れる
 最近、やたらとデカイ地震が多いのである。
 半年おきくらいにきてる感触なのである。
 過去、何十年も生きてきたけれど、これっくらい狭い間隔で比較的揺れの大きな地震が頻繁に起こるというのは・・ なかったなァ。
 だいたい岡山県地方は、さほどに揺れはしないというのが通説みたいに闊歩していたワケだけど、近年の半ばの定期のような地震の繁華っぷりは、何だか妙チキである。

 3月24日の白昼の大揺れも、いうまでもなく前触れなく通達なく、ふいにやってきた。
 おや? 揺れてるぞ、と想ったが最後、家中がズズズズ、ググググ・・ 気色の悪い音をたてながら大きく揺れだした。
 ロシアのミールが無事に落下して、安堵してたのは昨日のコト。その翌日の白昼に今度は大地が揺れちゃうんだから、困ったもんだ。
 今回のは、ながい地震で、それも徐々に振幅が大きくなってくタイプのものだった。20秒くらい、とテレビで報じたけど、そうかなぁ。もっとながいハズだぞ・・
 ただ、揺れっぷりは大きいが妙な横揺れ縦揺れがなかったのが少しだけ幸いし、アレコレ室内のモノがガチャガチャと散乱という程に至りはしなかったのだけど、それはあくまでも結果であって、揺れのさいちゅうは、これはちょっと生きた心地がない。
 とりわけ我が家の地盤は、どうもユルイようで、テレビで見るに岡山市方面は震度4であったというコトらしいけれど、体感としては数字をもう1つ上乗せしてもイイんでないのと思うホドであった。
 ちょうど2階にいたので、よけい、そう感じるのである。
 地震計なるモノが一般に廉価に市販されているようならば、1ケ買い求め、我が宅の2階に設置しておきたいとも思うくらいに、震度4なんてもんじゃね〜だろ・・ と思う気分が高い。

 地球というのは生きているワケゆえ、地震はやむなきコトだし、震度4だの5だの6だののレベルをはるかに凌駕する、人の尺度を完全に越えたような地震をも、過去あったろうし、また、今後も起こりうる可能性はあると断じていいのだけど・・ つくづく、地層にへばりついての人の営みというのはまことにもって脆弱で希薄なもんなんだなぁと思っちゃう。

 揺れた直後に、今回も電話がとまってしまった。回線電話も携帯電話もたちまちに通話不能となってしまった。
 電気は停電するコトなく給電されているのに、どうして電話はこうも簡単に回路が断ち切られるのだろうか?
 安否気づかう電話が殺到するコトも承知してはいるけれど、そうであって尚、それを充分に処置出来うる体制ってのを、本来、NTTやらは持ってしかるべきだと、ボカぁ、思うなぁ。
 コンテンツ充実のiモードやらDoCoMo AOLやらでの販路拡大も、マ、イイけれど、いざ、火急というさいに回線切断ではアカンじゃないですか。 そこいら辺りをクリアしてはじめて真の意味での「IT」があるんじゃないでしょうか、ネ?
 

 今回も幾人か死者が出たようで・・ 気の毒としか言いようもないけれど、そう思いつつ、我が身と我が家屋が何とか無事であったという安堵が絶対的にあったのも確かで・・ 揺れがおさまった後、外に出、家屋を一応点検などしつつ、そして眼に見える被害のないコトを確認して安堵しつつ、陽光のあたたかい感触に私は、大きく深呼吸して、生きてるコトの喜悦を、ちょっとばかり味わったりも、したんだ。
 人が『生』を感じるのは、こんな時なんだね。
 我ら一同、地球のそのホンの表層に間借りした、小さき借家人だって感触をアリアリ思い知らされもするんだ。
 だから、「愛は地球を救う」なんてテレビの甘っちょろい譫言が、こんな時よけい痛切にアホっぽくも思えるんだ。
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