SAY HELLO SAY GOOD-BYE
 8割くらいかしら・・。
 国際フォーラムの大ホールの客の入りである。
 その空席に一種の凋落めいた悲哀を覚えもしたけれど、ホールの灯がス〜ッと落ちて演奏がはじまるや、たちまちに場内は総立ちとなり、席の空白は見えなくなった。
 告知が、ほとんどインターネットでしかなされなかったコト。
 告知の時期が遅かったコト。
 その2点が、この空席となったのであろうけど・・ ともあれ、演奏は開始され、馴染みの、溶けるような、高と低の、甘美な、うねりのある音の波に、私は身を委ねた。

 一昔というのは単位としては10年であるらしい。
 そうすると30年前は三昔というコトになるか・・
 30年前、より正確には29年前なのだけど、友人のH君宅でROXY MUSICをはじめて聞いた。
 H君宅は大阪は東成区の大今里というトコロにあり、家業は下請けの鉄工所みたいなモノだった。
 その鉄工所の2階の最奥が彼の部屋で、窓はなく、壁も天上も机も椅子もペンキで真っ黒に塗られて昼ですら非常に暗い部屋だった。
 中央に、枯れたブドウのツルを思わさせられる紋様のシーツがかけられたソファがあり、私はそこに腰をおろす。そこから部屋を眺めると、幾つかの40〜60ワット程の電球が、ツボを押さえた要所に配置されていて、地階のバーにでもいるような妙な落ち着きと静穏を味わうコトができた。
 ソファから眼を左に転じると、そこに黒い大型の棚があり、彼のLPコレクションがある。
 主に英国系のロック。
 H君がその中から、
「これがすごく面白い」
 とチョイスしたのが、ROXY MUSICのデビューアルバムだった。
 ビートルズとR・ストーンズとボウイしか聞いていなかった我が耳に、ROXY MUSICのそれは、最初、違和を覚えさせられる音だったが、ジャケットは小さく身慄いするホドにイイ感じなモノだった。

 以来ざっと30年、ROXY MUSICとつきあってきた。
ROXY MUSICとしての来日公演は2度、ブライアン・フェリーの公演としては1度、過去、大阪で体験しもした。
 気がつくと、我が体内にあっては、愛聴を越した陶酔めいた気配でもってROXY MUSICは君臨し、ビートルズのそれを凌駕するポジションに昇格して今に到っていた・・・。
 といっても、ここ10年ホドの合間、解散状態のROXY MUSICには新譜など、ない。
 公演など、ムロンない。
 ただブライアン・フェリーの幾つかの新譜とその消息のみが、ROXY MUSICの残滓として、いつまでも私をとらえて離さない光芒の火点として今に到っていた。

 そのROXY MUSICが9月に来日公演をするというのだから、ちょっと驚いた。
 なんでや?
 チケットを手配してくれた東京在住のデザイナーに問うたけど、彼もムロンそんなコトは判んない。
 過去に活躍したバンドが歳月を経て再結成し公演をやるというのは、まぁ、最近の常套ではあるけれど、ROXY MUSICよ、おまえもか・・ という、いささか残念な気分もこの場合、少し生じ、それがわだかまりめいた小さな泌みのように気分の片隅でひっかかる。
 その泌みが、何であるかを確認したいというのもチケット購入の動機の一つとなった。
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 我が愛すべき友が入手してくれたチケットは3日連続の公演の中日のものだった。
 馴染みの、私にとっては依然として現在進行形のサウンドであるから、 懐かしいという感触はまったくない。
 幾つかの唄の幾つかのフレーズを私は口ずさむコトも出来る。だから、眼の前で演っている本人らのその歌声に合わせ、知らず、それを声にしたりもした。
 曲順は彼らのデビュー時のものから、すなわち、古いものから、アルバムの順番をはっきりとなぞる形で進行した。
 久々の公演というコトもあり、30年の歳月が消失するのではないかという予測もあったけど、4曲、5曲と演じられるに連れ、不思議に、それは消えるどころか逆に、凛々くっきりと、一種の年輪めく多層の時間の堆積として、私の淵を漂い出した。
 古くはない。
 されど新しくもない。
 ただ、馴染みの曲々。
ROXY MUSICのオリジナルメンバーがほぼ揃っている上に、ブライアン・フェリーが個人で活躍時にバックを務めた連中も舞台上にいる。
 一種の同窓会。
 オリジナルメンバーとして、ドラムのポール・トンプソンがいる。ギターのフィル・マンザネラがいる。サックスのアンディ・マッケーがいる。
 クリス・スペディングがいる。
 一昨年発売のジャズのスタンダードで占められたブライアンの名盤「As time goes by」のメンバーもいる。
 豪華。
 当然に、技巧は戦慄的なまでに卓越し、ただただ息をのまされる・・。
 女性バイオリニストで「As time goes by」辺りからブライアンのバックを務めるルーシー・ウィルキンスは、「Out of blue」のバイオリン・ソロパートを、「VIVA! ROXY」時のエディ・ジョブソンのそれを凌駕するかとも思われる勢いあるしなやかさで、しかも、華麗に演奏しきって、ちょっと驚かさせられた。
 そして、後半に登場の豪奢にしてエロチックなダンサー達・・。
 華やかで、しかしながらどこか安っぽくて、されど、底のない深淵を垣間見せるという意味で、このコンサートはROXY MUSICというバンドの形を今までになくクッキリと明瞭にしてくれた・・。
 デビューアルバムのプロローグたる「Re-make Re-model」で醸された、ロキシーだとかオデオンといった、かつての、酒場でありミュージックホールであるといった、あの場末た、喧騒めいた、猥雑な・・ その雰囲気である。
 チープ&キッチュな猥雑の中で切々と歌いあげられる純粋、というヤツだ。
 ぬかるみに落ちた一滴の油の光彩、というヤツだ。
 そこを今回の公演では全面に押しだした。

 だけれど、私の中の得体のない期待めいた気分はすべて拒絶されるのだ。
 得体のないというのは・・ 新たなROXY MUSICを見たい聞きたい気分、といってよい。
 それがこのチョ〜久しぶりの公演にはまったくない。
 ブライアン・フェリーのソロ・アルバムからといったモノは一切、ない。
 彼らメンバーの今を伝えるモノは一切、ない。
 どうやら彼らROXY MUSICは、その閉じたロキシー的宇宙をのみ開示するために、ここに来たようであった。
 だから、まるで、「過去」の記録フィルムを眺めているような按配となる・・。
 この辺り、ニュアンスが難しい。
 多くの復活バンドが過去を引きずるままに、今に、亡霊のようにして、公演をなすのとは、どこかが違うのだ。
ROXY MUSICのこの公演は、あえて、「過去」を、その最良のカタチで開示しようと勉めている気配がある。
 30年の歳月をガラスの玉に封印し、そのガラスの玉の中で、自らを演じた気配がある。
 主要メンバーの衣装も、どうも、「今」ではない・・。
 あえて、80〜90年代的イメージを想起させる衣装をチョイスしている節がある。
 閉じた円環の中で、アレンジを一切くわえずに過去を演じきったコンサート、といってよいかも知れない・・。
ROXY MUSICとしての彼らは「ROXY MUSIC」にしがみついているワケではない。
 決算でもない。
 決着でもない。
 おそらくは彼らにとっても大いなる過去である、その過去を今や楽しく演じられるホドに彼らはROXY MUSICからは遊離したと思った方が、いい。
 たぶん。


 だから、終演すると、夢が醒めたような、昂揚も飛翔もない、ちょっとポンヤリした気分になってしまった。
 水晶玉の中の魔法の映像を眺めてしまったような妙な感触のみが、一本のキャンディを舐め尽くした後の甘やかさめいた味わいとして私の内裡に残るのだった。
 それは私にとっては新たなる「泌み」となる。
 そう、思える。
 HELLOでもなくGOOD-BYEでもない、再確認という意味合いでの、それは「泌み」である。
 我が内なるROXY MUSICは永遠なり、というコトなのだろう、コレは。
 たぶん。



 今回の公演はワールドツアーをうたっているから、おそらくは、パリのオランピア辺りの公演記録がDVDで発売されるのではなかろうか・・
 楽しみな「泌み」は継続する。
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