とってもエジプト……
  ダンコ、マチガイなく、日本人はエジプトが好きなようである。
 今のエジプトではなく、古代エジプトが、大がつくほど好きなようである、
 それが証しに、日本の各地にて「エジプト展」がかなりヒンパンに開催され、多数の集客をみる。
 昨年は我が岡山でもソレがあったけど、博物館に向かう車で混雑が生じるホドの盛況であった・・
 一昨年だか、神戸で開催されたソレも長蛇の列であったそうだし、テレビが放映する"エジプトもの"は概ね、相当な視聴率を稼ぐらしい。書店の歴史コーナーでは、エジプト関係の本が幅をきかせ、他国のそれを、圧倒しているようなトコロもある。
 インダス文明やらエーゲ文明やらを席捲し、一人勝ちなイキオイでもってエジプト文明が人気というのは、ちょっと不思議な感じもするけれど、やはり、ピラミッドとツタンカーメンが牽引なのであろうか?
 中国文明もかなりの人気を博しているけれど、老若問わずという次第ではなくって、どちらかといえば、フアン層の年代が高いよう、見受けられる。この点、古代エジプトは若いのも古いのも皆一様、興味の射程に入っているようで、試しに、そこいらの居酒屋でもって、話題をエジプシャンな方向へ持っていけば、ほぼ必ず、どんな人物たれど、そこそこの基礎知識でもって話についてくる・・ あるいは逆に、思わぬ人物から、こちらが知らぬ知識の開陳があったりなどして、いや、まったく、話が弾んで酒が、うまい。
……
 吉村作治氏の精力的活躍ゆえにの人気とも考えられはするけれど、本質としては、「謎解き」めいた感触をそこに見いだすゆえにの人気ではなかろうかしら。
 膨大莫大な富があそこに集約していたコトはマチガイない。その絢爛っぷりは、当時まことに小さな存在でしかなかったと思われる少年王の墓でさえが、あれほどの法外であったコトでよく判る。
 であるなら、より大きな存在であった他の国王時代は、如何なものであったろうか・・ 乾燥して茫漠と化した砂の中に、まだ未掘の何かがあるんではなかろうか・・ などと、思わずにはいられないじゃないか。
 今からおよそ5000年前という時間の乖離が意味するトコロもまた、私どもを茫漠とさせる。
 古代エジプトの最盛期は世紀でいえば46世紀も前に在った興隆である。
 我らがよく知り、かつ、遠い太古の者のように憶えられる卑弥呼ですら、2001年の今から換算すると僅かに1700年ホド前に過ぎず、そのコトと対比すると、4700〜5000年年前という時間がいかに遠方で遠大であるか、しかも、その時代に驚愕とも思える技術や数学知識があったというコトに一種の迷妄を覚えさせられ、半ば、呆れるような気分にさせられるのではあるまいか。
 それが時に、宇宙人説といったアホな領域にまで話が拡大されて、興のにぎやかさに輪がかかっちゃう。
 ともあれ、親近感に満ちた大いなる興が生じるという点においては、 古代エジプトはかっこうの題材のようで、毎月のように、エジプト関連本が出版されては売れちゃうという次第・・
 ただ、本の知識というのは、体感としての距離を体現しない。
 例えば、ピラミッドのあるギザから、古代エジプトの最興隆の地ルクソールとは、相当な距離がある。それが岡山から東京よりも遠い道程であるというコトが、文字ではピンと来ない。
 そのルクソールは今は20〜30万の人口を抱える大掛かりな遺跡群のある観光都市なれど、3500年ばかり前、そこが100万都市で、ナイル川をはさんだ東と西で、光景が一変するといった実体がうまく伝わらない。東に神殿が多々あり、西はネクロポリスという名の死者の都であるけれど、本では川の幅が伝わらない。  
 生ける都市側から死者の場であった西側の光景としての色合いが判らない。それが白っぽい荒れ地なのか、赤茶けた光景なのか、空気の匂いとしての感覚が伝わらない。
 ツタンカーメンの墓地をも含む王家の谷はそこにある。

 ツタンカーメン研究として、まずは定番というか必読な、発掘者本人であるハワード・カーターの著作「ツタンカーメン発掘記」が、ちくま学芸文庫から新版となって再登場している。
 昭和の30年代辺りが少年時代であった世代にとって、ハワード・カーターや、シュリーマンは、冒険家のそれに類する憧れの色合いのある偉人めいた人物として、記憶の底辺にすくっていると思うが、かくいう私も、そのクチで・・ 少年の私は、カーター卿のその発見時の彼自身の昂奮を我がコトのように、フトンの中で追想しては楽しんだりした。
 毛布を重い石の扉に見立て、それを押し開いた向こうの衝撃の昂揚を自身のものにしようと、頭の中に黄金の柩を思い描いたりした。
 今どき、そのような牧歌を描く少年がいるかどうかは知らないけれど、私どもの世代ではそうだった・・
 そのカーターの著作が文庫で読めるのは、ありがたい。
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 彼の昂揚、偉業、丹念、失意、悲憤・・ 今や多くが知るトコロの人となりだが、我が追想の中のカーターは、いつも、たえず、孤独である。
 その大がかりな発見の成果にかかわらず、 本人から受ける印象は、笑みのない寂寥、である。少年の頃より、そう思い、そのコトを不思議に思ってもいた。とにかく、多々ある彼の写真に、彼が笑み崩れているようなものは一枚もない。時に 一種あどけなく、時に一種無邪気であっても、深いようで、冷たいような、その眼の奥に踏み込めない色がたえず、あった。
 生来の無表情にくわえて、失恋があったという次第が、その硬い顎の線と眼の暗さに滲みとして生じたといった、その辺りの事情はムロン、この「ツタンカーメン発掘記」には書かれてはいない。
 小学生の私には事情が判然とはしなかったけれど、今はもうある程度、惑星の衛星が惑星の表情を見るように、痛切さがまじった悲痛として見遣るコトが出来る。近くにあって永劫に寄りつけないその気分が、判る。
 ただ、この辺りを通俗な悲恋として見てはイケナイ。当時の階級的な英国の社会構造が個人のロマンスの成就を頑なに拒んでいる。カーターが恋した相手は、とどのつもりは身分の違う、カーターを雇用した側の親族であって、彼女にとってカーターはあくまでも彼女のテーブルにティーを運ぶ身分の人物であった。カーターが心許されたと思ったカーナヴオン卿の娘もまた、そういった慣習、そういった身分制度の只中に浸かっていた人だった。
 マ、そんな次第もあり、それゆえ、ツタンカーメンそのものへの興味と、発掘者のカーターへの、二層の興味が複合して、興はなおいっそうに深くなる・・
 で、結果、本来、核心としての興味が、絢爛たる遺跡にあるのではなく、「人間」であるというコトに、おそらくは多くが気づかさせられもし、その「人間」があの壮大壮麗なる文明を築いたんかぁ、と改めて、湯の泡立ちのようにエジプトへの興を起こしたりもするワケだ。

 スフィンクスは、ピラミッド建造をはるかに遡る時代より、そこにあったという学説もある。
 ピラミッドがアレは墓ではない、という説も浸透しつつある。さりとて、墓地にまつわる何かであるという点にも考慮せねばなるまい。
 誰が、何のために、どのように、・・・??
 解けそうで解けないパズルをあてがわれたような、床下に落ちた一本のエンピツを探して眼をキョロキョロさせているような、ある種の欲求不満が、古代エジプトをいつまでも魅力あるものとしているようでも、ある。
 鍵穴もある、鍵もある、されど、うまく鍵が開かないという、もどかしさのような感触が、たぶん、人をとらえて放さない要因なんだろう、きっと。
 この太古の時代にストライキがあったコトが今は判っている。労働に対し不当があり神殿の前に座り込みして抗議をしたらしい。それがパピルス文章にして残されている。 このコトは、先年、HNKで放映された番組で紹介されたけど、労働があり、賃金があり、ルールがあり、勤勉があり、犯罪があり、祈りがあり、泣き笑いがあり・・・  国王たるファラオの絢爛な黄金遺産と共に、この太古にも「生活」があったという事実の親近に、私らは、今との「継承」を思うんだとも、思う。4000年も5000年も前に、労働の正統性を主張出来うる環境があったというコトに鮮烈をおぼえる。

 それにしても・・ 今もって、つくづくと忍ばれるのは、ツタンカーメン王墓発掘にあたったカーターの熱情と真摯、その強運である。
 1902年から1914年にかけて、あの「王家の谷」の発掘権は米国の富豪セオドア・ディービスが一手に握り締めていた。当時、考古学というものは今のようにキチリとした学研のものではなかった・・ ディービスもほとんど『お宝』目当てのソレに過ぎず、例えば、彼は谷でトトメス4世王墓やシプタハ王墓といった相当数の王墓を発掘したけれども、出土した壺を持ち帰り、その夜にシャンパンを飲みつつ友人らの前で、さぁ、何が出るかなァ、壺を叩き割ったりと・・・ 仔細一切を学問的に体系づけるといったコトはやらなかった。目当ては「黄金」の何物かでしかなかった。
 その意味ではカーターの後援者たるカーナヴォン卿も同様であった。彼は彼のコレクションの充実にとスポンサーを務めていた。英国の彼の城の一室を飾る調度としての逸品を捜していたに過ぎなかった。
 御承知の通り、当時のエジプトは英国の保護領としての恥辱から何とか離脱して、自身の足で立とうとしていた。ツタンカーメン王墓の発見はまさにその激動期の出来事だった。
 時の政情と発見の壮大がエジプシャンの愛国に火を灯し、結果、カーナヴォン卿のコレクションという個人なレベルから事態は国家規模の収集管理という具合になったが、今の我らにしてみれば、ぁあ良かったという結末ながら、この辺り、出資したカーナヴォン卿には極めて不本意ではあったろう。

 12年にも及ぶセオドア・ディービスのチームの発掘は、もはや王家の谷には何もないという結論を得て、1914年に終了する。
 独占権の破棄後、カーターとカーナヴォン卿は即座に谷の発掘権を取る。
 当時のエジプト政府が、その交付書を与えるさい、もはや、アソコには何もありませんよ、とカーターらに忠告までしているホドに、ディービスらはアチャコチャ掘りまくったようである・・・
 事実、カーターらの発掘は、何もない、何もでない、何もありゃしない、の徒労の連続となる。
 出資者のカーナヴォン卿は1922年、撤退を言及し、カーターは最後のチャンスに賭けるコトになる。
 かつての昔に作られ今や放棄されている人夫の休憩小屋を撤去し、その下を堀った。ディービスが掘削の土砂の捨て場とした場所を、カーターは掘った。
 思わぬ盲点というのは、如何なる局面にも生じるようである。
 まず、ない。
 絶対、ない。
 ありえない。
 そう言われ、かつ、そう誰もが信じ、「学会の常識」として露とも疑われなかった「無意味な場所」を、最後の最後に掘った。
 後は、もう承知の通りだ。
 もし、そこをディービスが掘り当てていたなら、今、ツタンカーメンの遺産は散在していたに違いない。黄金製以外の遺物はかなりの量が破棄されたに違いない・・
 カーターの存在はそのままツタンカーメンの良運でもあったろう。
 神経質で入念でかつ頑固でもあったらしきカーターは、墓の調査と修復、副葬品のカイロ移送、さらにはエジプト博物館への展示と、慎重の上に慎重を重ね・・ 作業終了までに実に10年の歳月をかけるのである。
 さらには、既に貴重品を収納し終え、後の出土品は雑多とみなした無理解なエジプト政府を声出して嘆くコトをせず、彼は自費でもって一切を管理し移送したりもした。
 カーターはそういう人物だった。
 そういう人物に巡り合ったツタンカーメンはゆえに幸福であったと、いわねばなるまい。
 僅か9歳で即位し、18歳前後に暗殺されたらしき、古代エジプトにおいてさえ無名であった小さな貧弱な体躯をした少年王は、3000有余年の歳月を経て、奇跡めく良縁の元、永劫の復活者たる威風をもって世界に名を轟かしめるのである。
 余談だが・・ ツタンカーメン王墓で発掘された多数の遺物の中には、小さな人型木棺に入れられた、少年王の、早産したと思われる胎児が二体、あった。
 少年王の妻・王妃アンケセナーメンの妊娠異常に言及したカーターは、慎重に言葉を選びつつも、王位継承をめぐる諸事情に触れてもいる。自然な早産であったか、あるいは、何物かの介在が子らを死産に導いたのか・・ 
 ともあれ、それは撮影され、調べられ(発掘記にその詳細な記録があるし、60年代には一体がレントゲン撮影されてもいる)、カーター自身の手でカイロの博物館へと移送されたが・・ 移送直後、一体が、どういうワケか行方不明となっている。
 超弩級の発見に半ばの戒厳令が敷かれていたカイロにて、遺体の一方が忽然と消え、今もって行方は杳として知れない。
 妙なこっちゃな。
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 歴史というのは、非常に不思議である。
 例えば、我らが知るトコロのクレオパトラはギリシャ系の方ながらもエジプトを愛し通したエジプト最後の王であるけれど、彼女自身はツタンカーメンをまったく知らないのである。知る術を持ちえなかったのである。
 ところが、数千年後の我々はこの両人をかなり知っているので、ある。
 なんだか、不思議じゃないか・・・。
 その不思議さがまた我らをエジプトにひきつけるという次第ながら・・ 思うに、今のエジプトというのは、やや気の毒なような感触も少し持つ。我らが興味が、往々に古代へと向けられ、そこにのみ光線が照射され、今のエジプトにあまり眼が注がれないという点に、ちょっと申し訳ないような気分をもつ。その未来へでなく、その過去ばかりを注視されるコトに、当のエジプシャンはいささかゲンナリという按配ではないのかしら。知友にかの国の方がいないので、この辺り、いささか頼りない考察だが・・・。

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 エジプトにもしも旅する場合に、座右の書となるガイドがある。
エジプト遺跡Walkingガイド
 実行動に伴う諸般のアレコレの仔細が、例えばタクシーの値とか、例えば、ピラミッド周辺の物売りの対処とか、具体に判る良書である。
http://www.cyclejp.com/
 で入手可能である。 行く、行かないはともかく、この冊子を手元におくのは心強い。
 ホームページも充実しているし、なにより代表の足立恵子さんの細やかなフォローが気がきいていて清々しい。
 クフのピラミッド内部には一日わずか300人のみしか入室が許可されない、というコトが、読めば判るようになっている。
 えっ! じゃ、どうするの・・
 それは読んでのお楽しみ、ネ。
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