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| 時期同じ頃に、iMacをモチーフにした小さな時計を買った。 デザインが優れているワケでもなく、ただiMacをモチーフにしたという一点のみに興をひかれて、買った代物だ。 両者ともに液晶面に、時計やカレンダーや温度が表示される。 時計も日付もどちらも、当然に、同じ数字を示すけど、どういうワケだか温度だけが違う。 片方が19度なら、一方は15度だ。 一方が15度なら、片方は11度だ。 4度の差がある。 同じ場所に並べて置いても4度の差があるトコロをみると、どちらかが狂っているか、あるいは両方が狂っているというコトなのだろう。 正確なトコロを察するコトが出来ないので、この2つの数値の合間を取って、室温は17度だわネ、というコトにやむなく決めている。 曖昧なモンだわさ (^_-) まぁ、これは静物のこったから多少の高低は片目をつむってあげるとして、かたや、生物たる人に関していえば、いささか勝手が違ってくる・・ 人と接する時、この温度差を味わうコトがある。 こちらの思うホドに先方が熱していなかった、というようなコトが多々ある。 仕事にしろ、日常の中の出来事にしろ・・ 気持ちのすれ違いというコトではなく、例えば同じ目標点を目指す者同士という時に生じるヤッカイが、この温度差ではなかろうか、と思うコトしばしである。 あるよ、な (^_-) 多分に先方も同様に全力疾走していると思っていたにも関らず、振り返ると、先方は歩いていたり、立ち止まっていたり、よそ見していたり・・ そのコトを責める立場でもない時、とりわけ大いにガックリさせられる。 ションボリしちゃうという以上に何やら気力が萎える・・ そんなコト、あなたにはない? オレは本気でやってんのに〜〜・・ ってヤツ。 双方が燃えちゃって互いにベクトルの差が出ちゃうというコトとは、これは違うんであって、もし、そうなら、それは良性の差異というコトで建設的な何物かの範疇であろうからドッてコタァないんだけどね。 温度に差がある場合は、コレはちょっと辛い。 先方がこちらの温度にまで上昇するのを待つもよいけれど、たいがい、待っている時間はない。 もちろん、この反対がかつて幾つもあったろうとも思われる。 チェ、山本のヤツ・・ とガックリ肩を落とさせたコトが多々あったろうとも思われる。 何事かに対しての燃焼の度合の差で、結局、その何物かを失ってしまうというようなコトもある。 温度の差、ってヤツは・・ ともかく、ヤッカイだわさ。 静物ではない生物がゆえに、そこが面白いといえば面白いワケだけど、自身を面白がるホドには出来上がっていないから、当事者としてはやはりガックリときちゃうというコトとなる。 むろん、先方の発奮をうながしてはみるけれど、いつも、たいがいは、煮えるに至らず・・ こちらの体温を少し下げざるを得ないような局面となったりもするけれど、やむなく、ぬるいお湯に浸かっているような按配だからこれはマコトに居心地が悪い。 いっそ、その関係をプツリと断ち切ってしまえばラクなのだけど、そうもいかない場合もまた多いワケで・・・・ たかが温度差、されど温度差。 難渋、難儀のコレは源泉なんだわさ。 今から24年前、F・コッポラは大勢のスタッフと器材と共にフィリピンに赴き、悪条件下であの難解で面妖で奇怪で必然でもあった「地獄の黙示録」を撮影したけれど、今に語り継がれるコッポラとマーロン・ブランドの撮影時の対立は、確執のそれというよりは、温度差のなせるワザであったろう。 ブランドだけでなく、コッポラは撮影に伴うあらゆる人との温度差と直面しては、猛り、吠え、悶え、したようである・・ あの映画の前半は最初から構築されてはいたけれど、後半は、既によく知られている通り、フィリピンの暑熱と湿気の中で夥しい徒労を踏んだ上で作り上げた「現場の声」であった。 シナリオは数分毎に変更され、即興が演じられ、知恵が絞られ、汗がかかれ、コッポラは人との温度差と同時に自身の温度をも意識せざるをえない状況下で作品を作った。 その苦悶の果てに生まれた作品というのは出来具合云々以上に一滴の蒸留された何物かであったろう。 多数多重の温度の差をかいくぐり、あるいは、多くの者の体温を燃焼させるコトでなしえた、何物かだ。 言うは易し・・・ またしても。 |
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| 本文とは関係ないが・・ ラリー・フィッシュバーンは映画「マトリックス」のあの反乱市民のリーダー役だったけど、哨戒艇の若い兵士クリーン役としてデビューしたのが、1976年に撮影が開始された「地獄の黙示録」だった。 この時、彼は14歳。 以後、いい熱を帯びた役者として活躍中 (^_-) |
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