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このシーズン、夕刻の5時から6時半、3つ、夜空に明るく輝く星が見える。
いずれも太陽系の惑星である。
西南の空にポツンと見えるのが金星。
東の夜空で親子のように並んで見えるのが土星と木星で、大きくてヨリ光ってる方が木星。
その斜め右上にいるのが土星である。半世紀程前には、このワッカのある星に土星人がいるかもしれんと囁かれたもんだけど、今はもう誰もそんなコトはいわない。
以上の三惑星、見る位置により多少のズレはあるけれど、例えば札幌、例えば那覇でも、同様に光輝として容易に肉眼で確認出来るハズだ。
札幌の場合、6時半の頃には金星は西のかなり低い位置にくるのでビルが邪魔して見られないというコトがあるかもしれないけど・・ ともあれ3つが3つ共にかなり明るく輝いていて、厳選された一粒の豊潤な輝きといったフレーズを与えたくなる程になかなかゴージャスである。
6時半と書いたのは、7時を廻った頃には、西空の金星が地平の向こうに沈んで見られなくなるからで、3つの輝きの一望はごく僅かな合間でしか成立しない。
南天に明るく半月(12/5時点)が輝いているから、月を基点に夜空を仰ぐと惑星による天秤のような図式がチラリと浮いたりもする。
今を遡る78年前、一人の青年が、この惑星やら月をモチーフに、過去に例のない硬質なファンタジーを編んだ。
「一千一秒物語」という。
作者は稲垣足穂。
Inagaki Tarupho.
1900年(明治33年)に生まれ1977年(昭和52年)に没したこの作家のデビュー作が、その「一千一秒物語」である。
首尾一貫、稲垣足穂は、切れたの濡れたの別れたのの、淫情淫欲湿潤を完璧に排除した透明なガラスのような作品を綴ったが、「一千一秒物語」はその中にあって飛び抜けて、ス・ゴ・イ作品である。
こんな按配だ。
星を食べた話
ある晩露台に白っぽいものが落ちていた 口へ入れると 冷たくてカルシュームみたいな味がした
何だろうと考えていると だしぬけに街上へ突き落とされた とたん 口の中から星のようなものがとび出して 尾をひいて屋根のむこうへ見えなくなってしまった
自分が敷石の上に起きた時 黄いろい窓が月下にカラカラとあざ笑っていた
(新潮文庫より)
70編の微小で構成されたこの詩編とでも呼ぶべき作品を読んだのは私が22歳の頃で、むろん、その頃、足穂は健在であった。
きしくも作家がこの作品を書いたのも22歳のコトであったが・・
一読、魅了された。
余剰なし。
過剰なし。
ただ、イメージがポンと提起される。
少ない、しかも乾いたコトバでポンと置かれる。
あまりの洗練ぶりに驚愕させられ、かつ、足穂という変わった名にいたく刺激されもした。
本名である。
カックいい・・ と思わずにはいられない。
実に単純にハマリ、以後、氏の著作を、手当たり次第に収集した・・
初期の、いい味のファンタジーは、作家の年齢と共に失せ、以降は、哲学的かつ抽象的な作品が怒濤のように生まれて、読む半分も実は理解できないというコトになるけれど、なんとか、そこを理解しようと悶えたり悶がいたりしたもんだ。
足穂自身、後年になって、『自分の作品は全て最初の「一千一秒物語」の解説だ』と言う意味のコトを申されたが、いずれの作品にも、星明りのソレを想起させられる、足穂のコトバで言うところのファンタシューム系の味つけがなされていて、難解なれどもティーストは変わらずといった良性があって、好きだった。
スーパーがつくホドに貧乏になった足穂が、ちり紙をあぶって喰うホドの貧窮の中で一枚の弥勒像の写真を見いだし、その像に存在としての自分を見いだす、作品「弥勒」は希有未曾有ともいえる傑作で、これは、もう何度も読み返し、私にとってのいわば聖書と化した。
大正14年だかに、モダン・ボーイのベスト5にも選出された新鋭の作家は、当時の文壇の重鎮であった佐藤春夫に嫌われたコトにたんをはっし、次第に、その作品の高尚とが相まって仕事が失せ、日々の糧をえるに苦労するようなコトとなった。
半ばのアルコール中毒となって、一時は文字も書けなくなる・・
布団は既に質(しち)に入り、2畳ばかりの下宿の家賃もあろうはずがない。
2月の厳冬にカーテンを身体に捲いて寒さをしのぎ、チリ紙を七輪であぶって醤油をつけて喰ったコトなど、きっと君らはあるまい。
人からもらった薄い半纏一枚を着、腰を荒縄でくくっての外出に、近隣の子供らに指さされて笑われる、その痛切を君らも私も、たぶんに想像できまい。
それほどの貧乏生活を足穂は経験した。
あるのは彼の身柄そのものと、新聞の広告の裏にマスメを描いて綴った原稿だけである。
がそうあって尚、その原稿の束を枕に横になった足穂は、空腹にたえつつ、作家としてしか生きられない御身のその重みたる思索に足を運ぶのである。
その思索に次々浮沈するのが俗世的な欲や夢でない、いわば考察しても一銭にもならぬ宇宙論であった。
宇宙論に付随して、例えば飛行機であり、例えば映画であり、例えば少年愛といったモロモロが同時に湯の中のおでんのように煮えるのが足穂の思索であった。
例えば飛行機でいうならば、ジャンボの音速といった未来形ではなく、飛行そのものの本質を弄るような、「将来の飛行機」ではなく「飛行の将来」という感じの、思惟であった。
たいがい、こういう思索は観念の妄執めいたモノになるものだが、足穂のそのエッセーとも論文とも小説ともつかぬ不思議な文体上には、しかし、迷妄して急旋回するような観念の袋小路な没落が兆さなかった。たえず遠心が働いて、電子が縦横に飛び回り次々に飛翔していくような苛烈な炸裂があり、足穂の内にあっては西洋的なものも東洋的なものも金平糖も歯車も一切が足穂的という微粒子にすり潰されてはそこで再構築されて、高々と屹立させられたり、へこまされたりスルのであった。
私が今、何とか星座を諳んじるコトが出来るのも、この足穂の影響である。
むろん、足穂は星座早見表を作ったワケではない。作品に登場の星に興をおぼえ、手探りで、どうにかこうにか覚えたに過ぎない。
たぶん、足穂の著作に接した方ならば、私と同様、きっと、かなりハマッたであろうと邪推する。
それほどに魅惑あるのが足穂であった。
作家でいうなら渋沢龍彦や松岡正剛、音楽家ならあがた森魚、鈴木慶一のムーンライダースはその名がもう足穂世界だ。画家ならまりのるうにい。漫画家で言えば、ますむらひろしや鈴木翁二、造型でいうなら絶対少年・・と、影響を受けた方は方々多々ある。
後年の、京都に住まうようになった60歳代から晩年に到る姿カタチがまた良いのが足穂で、タルホ入道ともいわれたカンロクと威容はちょっと畏怖をおぼえもする。
坊主である上に頭がデカイ。
グリッとした眼に黒縁のメガネだ。
鼻はやや上向きで、唇があつく、その口にはいつも葉巻がくわえられている。
で、四季問わず衣装は浴衣だ。
褌に、一枚の着物。
身辺にモノを置かないという一種の伝説と化した生活が、この威容にさらに附加を加え、いよいよ、足穂は生きたままレジェンドな仏めいた孤高の作家という感じに、なった。
だから、没した時にはショックだった・・
1977年の10月25日だった。
巨星落ちる、という感じが痛切で、当時頻繁に往来して親交を深めていたM君と表町の地階の喫茶ルボアールで、声なく沈んだコトを今のように思いだす。
数年前、京都は法然院の足穂の墓に詣でたコトがある。
イメージと違い、その墓はどこにでもあるアリキタリの墓で、そのコトにいささか驚きもしたけれど、私にとって最大の作家たる人の元に参じた嬉しさは格段だった。
その墓からはクレヨンで描かれた赤や青や黄の明るい 幾何的な形態をした何かがたえず始終に発散しているようにも思われ、肉体としての足穂はないけれど、そこに足穂が「いる」とマザマザと知覚されて嬉しく、同行の人もあって声にこそ出さなかったけれど、密かに、
「先生、やっと来ました」
と、つぶやきもした。
私は、いとた易く第三者を先生と呼ぶのをためらうタチだが、足穂に限っていえば、例外である。
稲垣足穂の作品は、10代の末か20歳の前半に読むのが一番にイイ。
30代では遅すぎる。
40代ではもう駄目だ。
コチラの感性が初々しく、かつ、透明な頃に読むのがイイ。真綿に水が浸透するように、きっと足穂が判ってくるハズだ。
とりわけ、「一千一秒物語」は、その光輝、高貴、香気、一切が衰えない。
貧乏に苦しむ方あるならば、「弥勒」を推薦する。
徹底したそのドンゾコぶりはきっと貴方の背負う貧乏な災禍をはるかに凌駕しているハズで、尚そんな生活の困窮にあいつつ毅然と生きる足穂のその姿勢に、眼をみはるコトになろうと思う。
むしろ、経年するに連れ、稲垣足穂作品はその品位が増しつつあるとも思われる。
それが風雅な寺の代々からの板廊下が小僧の手で日々磨かれて琢磨したというのではなく、またワインの熟成といった感触でもなく、氏の本のページをめくるたび、たえず何物かが更新されているような、長い尾を引いた彗星の光芒を間近に見るような峻烈をおぼえさせられるといった・・ そんな感触なのである。
足穂流にいえば、その辺りにコメット的消息がある、とも記述出来うるのだが、とんでもない才覚が、この足穂という響きの良い名を持った男性に生じたというコトは一種の奇跡的奇観として見てもよいのではなかろうか・・ 言葉による錬金が実施されそれに成功した希有な事例として、それは20世紀の奇貨といって、よい。
20世紀を記念して一人をあげろと言われたならば、私は迷うコトなくこの彗星をかかげる。
生誕100年を記念し、この11月より、筑摩書房より稲垣足穂全集が刊行されている。毎月1冊配本され、全13刊で完結する。1冊5000円弱と高額ながら、足穂好むトコロの菫色の表紙がとてもイイ。
ちなみに作家は1900年の12月26日が生誕の日である。 |
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