寿司を喰う
 土曜の午後、どうしても腹イッパイに寿司を喰いたいと思ってしまったのだ。
 巷で多々発生する不可解な殺人やら暴行と同様、理由の核心は判らない。
 自分で判らないのだから、他人にコレの真意が判ろうハズはない。
 ともかく、握り寿司が喰いたくてたまらなくなってしまったのだ。
 さて困ったもんだと、あてどもなく気分を余所へ転化させようと、午後の1時から3時にかけて、作業してみたりCDをかけたり雑誌をパラリとめくったりしてみたけれど、寿司の二文字が念頭から離れない。
 寿司から回避しようとすると、いっそうに、病的な、脅迫観念めいた気配で寿司が去来する。

 ぶ厚いハマチ。
 焼けた風味のアナゴ。
 とろけるような海老。
 コリコリとした蛸。
 歯ごたえ確かなカッパ巻。
 イクラの粒の輝き。
 ワサビ。
 お醤油。
 嗚呼・・・・・・・
 ザッと列記して高額なモノが出てこないのが哀し。

 ともあれ、午後4時。
 うだるような暑熱の中、自転車に乗って近所のスーパーへ出向いた。
 この5月よりスクーターに乗るコトをやめたので、自転車だ。
 ミニがあるけど、車内がムァア・・と熱くて、とてものコト乗る気分がない。
 で、自転車。
 右足、左足、交互に廻せば、4分とかからぬ内に近くのスーパーに着く。
 Pモール・プラッツという。
 そこは複合型のショッピングゾーンで、プラッツを核にして書店や衣料店や薬局等がある。
 プラッツの設計は私が懇意にしている方がなさったので、どのスーパーよりも馴染みが深い。
 ゆるやかなアールのある屋根は背景の竜ノ口山の形をなぞったものであるという。そのコトを設計者の当時の女性スタッフから聞いたコトがある。
 その頃、スーパーの容れ物としての建物には興味を持ちえなかった私だが、アールの存在を知らされてはじめて、デザインが持つ力のようなものを諭された気分になった。ただそこに形があるのではなく、形はそうあるべきとする叡慮がここには働いている・・  
 広い駐車場からプラッツ正面に眼を馳せると、そのコトが判る。
 横に広い竜ノ口山というツイタテを背景に、そのゆるやかな傾斜と同じ形をなした屋根を置くコトで、プラッツそのものでなく、プラッツをも含む空間になだらかな広がりと奥行きが、出た。
 中央に空の青さだけを置き、2本の大小のしなった弓の曲線を眺めるような、力強さと穏やかな感触が広がっている。
 違和のない、むしろ、意識される事のない、それは佇いである。
 大きな建物が景観に及ぼす良し悪しというのは、この辺りに潜んでいる。
 事さらに意識させるでなく、事さらに主張するでなく、眼にしつつも眼が捉えない性質を帯びた落ち着きがあってはじめて、家屋は人に溶け入るようである。
 人と同様、建物は単独ではうまくは、なりたたないようである。外周の何物かと呼応してはじめて建造物は呼吸するようである。

 そのプラッツは、先々週だかに大規模な改修がなされ、店は1.5倍ほどに大きくなった。
 ここにテナントとして「じんずし」が入っている。
 持ち帰り専門のお鮨屋で、本店は金沢にあるらしい。北陸の海の幸が豊富に使われていると、ここは思いたい。
 ショーケースはなかなか綺麗で、い並ぶ寿司の見本に、惑乱させられる。
 しばし、躊躇した後、パーティ寿司の桶をオーダーした。
 3人前、である。
 ともかく、腹イッパイに喰うつもりでいるのだ。 一人で喰っちゃうつもりでいるのだ。
 躊躇は、3人前か4人前だかを決するに時間をチビリと要したというに過ぎない。
 2400円。

 特上でも極上でもないパーティ寿司を3人前。
 はたして、それが全部食べられるのか・・
 苦もない。
 みな、たいらげた。
 ビール飲みつつ、江戸時代の事が書かれた本を右目で眺めつつ、パクパクホグホグ。
 餓えた鬼と書いて餓鬼となるけど、さながらにそのガキのごとく、次から次へとむさぼった。
 これを消費というか浪費というか、よくは判らないけれど、ともかく質より量・・ 桶いっぱい喰った。
 午前中から兆していた謎の寿司欲は解消された。
 午後5時。
 満腹。
 声なし。
 満ちた。
 寝っ転がり、本の続きを読み、そのままグーグー居眠った。
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