シガレット
 煙草を吸って既に20年以上になる。
 ロングピースが初体験。
 硬い異物を挿入したような痛みが胸に駆け、トイレで吐いたことを覚えている。
 某年の某月、突然、サムタイムという銘柄に代えるまで、このロングピースを吸い続けた。
 ある日、場所は東京だったが、突然、ロングピースが吸えなくなった。
 理由は判らない。新宿三丁目の交差点で信号待ちしている時、ふいに、啓示のように、ロングピースとの交際に終止符がうたれたコトを知覚した・・
  煙草に強烈さを求める時代が過ぎたのだと今は解釈する。
 サムタイムはその後、サムタイム・ライトに変じ、さらに、96年の3月にこのライトを軽量にしたスーパーライトが登場。これに乗り換えた。
 何もかもが「ライト」な時代に反逆の気分を持ちつつ、知らず、我が喫煙も「時代」そのものであるか・・
 私は一日に40本を消費する。
 今はセーラムを吸う。
 やはりメンソール系の煙草である。
 メンソールの含有量はサムタイムをかなり凌駕する。
 ピリピリしたメンソール特有の清涼が、くわえた唇や舌に触感されて、そこが好みである。
 セーラムにも幾種類かあるが、吸っているのは、セーラム・ピアニッシモ。
 ピアニッシモという副題にいささかの羞恥を覚えはするが、まぁ、それは問題ではない・・
 常に灰にしてしまうワケゆえ、煙草で部屋が埋まるようなコトにはならないけれど、我が歩むトコロ常に身辺に煙草アリという次第は、不変である。
 箱にして二箱。金額にして560円。
 毎日。
 年間にして1万4600本。
 金額にして20万4400円を、文字通り煙にする。
 吸いはじめから現在までを、現状の価格のままに通算勘定すれば511万円使った事になる。
 塵積もって大山となる。
 500万を越える金額に、ある種の戦慄を覚え、それだけの金額があるならば、例えば、ベンツの廉価タイプが買えるナとか、iMacなら30人のクラスに公平に分け与えるコトが出来るナ、とか、ヨコシマな金銭勘定もやってはみるけれど、本質として、この金額・・ 惜しくはない。
 我が嗜好として好んで消費した金額として、むしろ、誇らしい・・。
 とはいえ、この換算を世界の喫煙人口として考えると、空恐ろしくなる。
 何千万の人が吸っているのか知らないけれど、ちょっと膨大な数値が出て来そうである。
 例えば100万人が毎日2箱、セーラムを吸ったら、1日で11億2千万、1年で4088億、10年間続けて4兆880億円が煙草会社に入金される仕組みである。
 全世界でいえば、金額は膨大なものになろうナ。
 昨今、喫煙への嫌悪が広がり、煙草を嗜好する者としてはトテモ肩身の狭い時世ではあるけれど、煙草がわが身にあたえた○と×を計りにかければ、○の比重がやはり大きく、重い。
 習慣性のある中毒、というフレーズも確かに凛々しく清くマトをえているし、煙草会社を儲けさせているだけやんかと言われたらヤハリ頷くコトしか出来ないけれども、放たれた矢を受ける位相の違うマトもある・・
 顧みれば、あの日、あの時、あの刹那・・ 煙草でもって場を繕い、拭い、補修した場面が、いったい、幾つあったか数もしれない。
 煙草がなければないナリにそれはしのいで来た場面であったろうけれど、煙草があるがゆえに、例えばボガード演じるサム・スペードの哀愁が際立つというようなコトもあるのである。
 喜・怒・哀・楽の情感のヒダに煙がしみ、喜を少し増幅させたり、哀の悲嘆を緩和させたり、してくれたと思うのだ。
 ホッと一息ついた時の、一服の回復感と安堵感にくるまれた味の深さはちょっと類例がない。
 ホッとするというコトはすなわち、その直後までは緊張状態にあったというコトになろうから、当然その次期時間は煙草を吸っていないというコトになる。ニコチンが切れているコトを示している。細胞がニコチンを求めている・・ で、ホッと一息のシガレットがやたらにうまい、というコトになるのだけど、厳密に精緻に科学したって、この一服の味の深度までは語れはしない・・ お身体に悪いですゼという帰結と、その一服がもたらす昂悦は比例しない。
 どう転んでも良性ではないコトも承知しているから人に勧めはしないけれど、ぬかるみに落ちた一滴の油の虹の輪のような、キラッと光る部分も煙草にはあるのだ・・
 箱から一本取り出したり、指に挟むといった行為も味わいにはふくまれる。
 頼りない御身を補完する術(すべ)であり、道具であり玩具であるといった趣き、である。
 時に右手の、時に左手の、人差し指と中指で一本をはさみ持っていると、どこか落ち着いちゃうという辺りには、母親のオッパイの先ッチョを求めているコドモ同様な幼児性も垣間見える・・ むしろ、煙草なんぞには眼もくれない人の方が、その点ではシッカリ大人なのではなかろうか、とも思っちゃったりスル。
 ある意味では、離乳期が終わってないのネ、と思っちゃったりスル。
 英語ではこの幼年期の終焉を「Child Food End」という。
 Food をCigaretteに変えれば本質が垣間見えるようである。どうやら、まだEndには到達していないのかもしれないナ、私は。
 そこのアナタも。

 21世紀が終わる頃には、喫煙という習慣はなくなるのではないかと予想しているけれど、さて、どうだろう。絶滅するか?