土曜のまたたく星の海
 静かだった。
 かすかにクラシックが流されているものの、音も空気も澄んだ気配があり、席に至るまでの自分の足音は毛足の長いカーペットに吸収されて、どこか浮遊めいた感触までがあった。
 背もたれが大きな椅子は、柔らかで、天井を仰ぎ見るがための特別仕立ての豪奢な感覚があって、好感がもてる。
 席は中央の真っ黒い我々の背丈よりはるかに大きい一匹の蟻にも似た形の機械を中心に、グルリと輪をかくように配列され、坐ると、一つもきしむような音をたてず、これが日々よく整備されているコトを物語っているようでもあり、また一つ、好ましさが増加する。
 やがて開演のベルが小さく鳴り、クラシックのボリュームがゆっくりと潮が引くように下げられていく。
 静かに明りが落とされ、柔らかい、よく訓練された、場によく馴染んだ、低くて静かな女性の声が、ささやくように語りかけ出すと、丸屋根のコンクリの質感がアレヨアレヨという間に失せていく。
 突然、屋根という奥行きが失せ、深い、浸透するような闇が天に現れ出る。
 屋根の高みが消失し、かわって、深い暗黒が現出するその一瞬、永遠めいた虚空を覚えるようで息を呑まされる。
 その暗黒に星がまたたき出すと、昂ぶるような、それでいて安らぐような、安穏な気分に満ちる・・
 ツアイス式の精緻な歯車が作る光点だというコトを充分に知りつつも、闇の中の幾つもの小さな星の光輝に、知らず、宇宙と一体化していくような感触を覚える。
 その深い静謐な星空を仰ぎ見る時、そこが繁華な渋谷であるコトはもう忘れている。
 ビルの屋上のドームの中に坐っているのだというコトももう忘れている。
 隣席に女友達が坐っているけれど、彼女の小さな呼吸の音が聞こえるきりで、闇の深さに、その麗姿はみえない。
 それほどに、プラネタリウムの星の下は静かであった。
 浮き上がるような、沈み込むような、不思議な感触に包まれた一時であった。
 一本の映画を見る以上に、むろん、物語は自ら編まねばならないとしても、この上もなく良い体験だった。
 99年の4月。
 土曜の夕刻だった。
 喧騒も絢爛も腐敗も汚濁も欲望も何もかもが消失し、あるのは、私の眼と、そこに映じる、北斗七星やこぐま座やペルセウスやカシオペヤといった星々と、大いなる闇だけだった。
 畏怖するような闇ではなく、安らかで柔らかな感触をもった「輝ける闇」だった・・

 渋谷といえば多くの人にとっては西武やハンズのある街というコトになるのだろうけど、私にとっての渋谷というのは、プラネタリウムのある街、という印象が強く大きい。
 繁華な道玄坂界隈でなく、JR東口方向、東急文化会館というやや老朽化したビルの屋上に五島プラネタリウムはある。
 1957年に開館したから、実に44年間、活躍していたコトになる。
 日本におけるプラネタリウムの老舗的存在である。
 その大きな丸屋根こそが渋谷の文化的香りの基底であったと思う気持ちが強い・・ 上記したコトを経験したがゆえに、そう思う気持ちが高い。
 私が少年時代に馴染んだ人として科学解説者の草下英明氏がある。
 たしか、この五島プラネタリウムの初代の星の解説者であったと記憶する。
 その頃、私は津山という山間部のささやかな城下町に住んでいたワケだけれども、星の夢を、テレビ(白黒時代の)で語る草下氏の姿は今も忘れてはいない。
 こういうオトナになりたいんもんだな、と密かに思ったとも記憶する。

 五島プラネタリウムのツアイス製プラネタリムは、ツアイス社製品の中にあっても屈指のモデルであるらしい。その大きさ、その精緻、他の追従を許さぬ王のような存在であったろう。
 しかしながら、近年は来館者が激減し、事業としてもはや維持出来ない状況となったようである。
 なるほど、私どもが訪ねた時にも、土曜の夕刻というのに、客は私たち二人とサラリーマンが一人と、もう一組の中年のアベックの、あわせて5人だけだった。
 一等地にありながら、既に多くの人にとっては興味をもたれない施設になってしまったというコトなのであろうか。
 五島プラネタリウムは、来年の3月をもって閉館するという。
 残念という以上に、いいがたい寂寥を覚える。
 コンパスの針の先をなくすようなもんだ。
 これが時代の推移というものなのか?
 アミューズメントなパークに人は群れはするけれど・・ 不毛が一つ加わったようで、寂寞となる。
 良貨は悪貨に駆逐されるのか・・
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