上には上の… ピーナッツ
 いつでも、何にでも、すべからず、上には上があるもんだ。
 上限きりなしといった次第が、たえず、あるもんだ。
 諸君はむろんピーナッツというモノをしっていよう。
 ポリポリ喰っちゃう、あの南京豆・・ ピーナッツだ。
 安い代物である。
 今や、おやつの王でもないし、おつまみのチャンピオンでもなく、当然に貴重でも稀少でもない、一袋100円そこらで買える、乾物である。
 スーパーで捜せば徳用の大袋が僅かに120〜200円そこいらで手に入る。
 バターピーナッツを筆頭に、 殻つき、皮つき、いずれも入手はた易い。
 が、さて。
 問題は味である。

 諸君も思い返していただきたい・・ 諸君らは、ピーナッツの味に千差があるコトを了解しているか?
 かく言う私は、ピーナッツが大好きだ。
 ピーナッツと羊羹、どっちを選ぶと問われれば、ピーナッツをとる。
 ピーナッツと板チョコ、どっちを取ると問われれば、ピーナッツを選ぶ。
 ともあれ、コレを好んで食べてきた。
 どういう次第でそういうコトになったか定かではないけれど、大学生の頃、とあるミニコミ誌にピ−ナッツが好きだという旨を吐露もしていたから、私の好物としての起源はかなり古い・・・。
 今なお、連綿と食べ続けている次第だが、食べ方は、いささか問題アリである。
 なにしろ就眠前に食べるのである。
 ベッドに横たわって眠る前に本をめくるというのが長〜〜い年月の我がヘキで、たいがい、数行か数ページに眼を通せば早や眠くなるという習癖となっているけれど、この時に、口に放り込んでいるのがピーナッツである。
 3粒か4粒をかじるだけのコトもあれば、1袋の半分を平らげるというコトもある。毎夜の就眠直前にである。そんな生活はイカンですよ、と男女問わず思われるに違いないけれど、既に癖(くせ)として日常の中に完全に組み入れられている習癖ゆえ、しかたない・・。
 自身、この食生活はイカンとも判っており、ゴロリ横たわって、ピーナッツの袋を眺めるたび、よっしゃ、明日はやめようと決意表明をなすものの、一向に慣習はとまらない。
 毎夜、明日こそはやめちゃう、明日はゼッタイだ、と自身にいいきかせつつ、アッという間に30年以上が過ぎたのだから、これはもう、やはり、私が意志薄弱という次第でなく、純然と、ピーナッツというものの魔力なのであろう。
 そうやって、ともあれ、食べ続けるうち、ピーナッツが銘柄により味の振幅が大きいというコトに気づかさせられるのである。
 A社のもの、B社のもの、C社のもの・・ 千葉産のアレコレ・・ と私は一種の求道者として、ここ数年、アレコレの銘柄を喰い続けて、ささやかな発見をなした。
 総じて言えば、そこいらで売ってるピーナッツのほぼ99パーセントは、まずいのだ。
 まずい、としか言いようがない。
 まずさにもアレコレあって、大別すると、概ね、3種に分けられる。

 最悪ピーちゃん  25パーセント
 悪ピーちゃん   50パーセント
 やや悪ピーちゃん 25パーセント

 そこいらで売っている範囲においては、このように3種の悪しか見いだせないというのが、結論である。
 廉価徳用袋のバターピーナッツなんぞは、当然、最悪の部類に属する代物である。
 紅茶の世界では、リプトンだか日東だかが昭和30年代にティーパックを発明し、これは飲茶の一種の革命となったけれども、使われた葉は、いわばクズのそれであった。
 セイロンの茶葉産地では、今も、ティーパック用の葉をダストという。
 徳用ピーナッツは、このダストに通じる代物である。
 クズである。
 そこで求道者たる身ゆえ、私は既に10年も前に、徳用と思わさせられるピーナッツには眼をくれないという識眼を持つに到り、もはや、価格にぐらついたりはしない、いわば、ジェダイの騎士のような、あるいはアーサー王の円卓を囲む騎士かのような、眼の澄んだ本物指向の高貴なイイ奴になった・・・。
 が、ひとたび、ジェダイっぽい眼力だか、マトリックス界を見透かす眼力でもって数多のピーナッツを喰らわば、徳用ではないピーナッツでも、例え「赤穂の塩で炒った」にせよ、これら、それら、皆一様に、どうしようもない程に堕落したポリポリポリの滋味でしかないというコトに気づかさせられるのである。
 結論を申せば、スーパーやコンビニで売ってるピーナッツはピーナッツにあらずという極論で、ある。
 いっそ、ピー公と揶揄って呼称したいホドの代物で、ある。

 むろんに諸君らはこの論法に疑問を思うであろう。
 それらがピーナッツにあらずと導かれるには、より良質なるピーやんを食したコトがあってのモノイイなのであろうか、と・・・

 当然である。
 上には上がある、のだ。
 5年程前に、そのバターピーナッツを手にした時、
「これは試供品か?」
 とも思う程に、それは小さな袋で、かつ、粒も僅かしか入ってはいなかった・・ 粒を数えるコトが出来る程にホントに少ないのである。
 しかも価格は300円と小悪税(当時は3パーセントだ)と、他社ピーナッツのそれと較べ、3倍も高いのだ。
 100円と300円では大差を覚えずとも、10万と30万、100万と300万といえばピンとこよう。それほどにこの差は大きいったらナイのである。
 ピーナッツ界において、僅かな小袋が300円というのは、まっこと異例な高額なのである。
 が、しかし・・ 少量・高額にはワケがあった。
 うまい、のだ。
 これぞ、ピーナッツ!
 ブラボー!
 驚嘆して喝采の叫びをあげたくなる程に、こやつはうまいのだ。
 歯触りは硬すぎず、柔らか過ぎず!
 塩加減は多からず少なからず!
 乾物ゆえ、果汁も肉汁もないけれど、噛めばそれに近似する豊潤な滋味が口内に砕け、舌はその芳潤さに喜悦を上げて陶酔境へといざなわれる。
 大袈裟に書いているのではなく、事実として、コレは今まで食したピーナッツとは一線を画していた。
 粒は、一粒一粒が貴石のような按配に滑らかで、まるで磨かれたように輝き、これがホンマに厳選されてチョイスされたモノであるコトが判って、感動を禁じえず・・ ひとたび、口にするや、数多幾千の大中小メーカー製ピーやんやらピー公どもは、はるかにかすみて一山幾らの陳腐と化す・・ のである。
 3倍の価格に相応する濃厚絢爛が僅かな粒を梱包しただけのこの製品には詰まっているのである。オートメーションといった流れ作業でなく、一粒一粒に人の眼が通ったチョイスが施されているのかなと感じさせられる、まさに「粒より」な逸品なのである。

 くどく繰り返すが、上には上があるのである。
 ピーナッツ世界にも人知れず王様が君臨しているというコトを意味しているようなのである。
 無名の王様なれど決してハダカの王にあらず、頑として厳として孤高めいた価格と少量でもってピーナッツ滋味界に君臨しているという感触なのである。

 我が求道はここに到って極上を見、同時に、もはや帰す術のない境遇へと自身を転じさせた。
 すなわち、毎夜、ほぼ315円(税込み)が否応もなく消費され、月々のお小遣い帳の一覧にピーナッツなる項目と共に7875円とかいった数値が刻まれるに至った次第であるのだが、この高雅な逸品、遠く足運び捜しに捜したと申せばカッコいいのだけど・・ 実はそうでなく、探索の果て、近所の酒屋でヒョイと買った品物なのであった。
 灯台下暗し・・・・・・・・・
 玉(ぎょく)は足下にあったワケだ。
これが我が舌を驚嘆せしめた逸品。もし、この袋を店頭に見たなら迷わず買うべし。
販売元は神戸の会社である・・・・。
豆そのものは中国産のようである。
うまい、で。
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