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総じて、雨が好きである。
ただし、雨降りは外出しないという前置きがつく。
窓の外の雨景色を眺めるのが、どういうワケか子供の頃より好きである。
モノ皆な濡れた景色が好きで、なお、雨そのものが好きである。
チョボチョボな雨よりザーザーと降る方が好きで、ザーザーよりもドド〜ッと降る雨が好みである。量が増せば増す程に、眺めていて楽しく、かつ、なぜか飽きが来ない。
白昼、窓の向こうの雨を肴にビールでもウィスキーでも、呑めちゃう。
時に窓を開け、雨の匂いを嗅ぐのも一興で、視覚と嗅覚とで雨を堪能するのがちょっとした贅沢に思うコトすらある。
もっとも、その湿気、その水滴、ともかく自身が濡れるコトは好まない・・
乾いた感触として雨を知覚するのが好きなだけである。
いつかの遠い日、雨の日に、白に青が混ざった大きなアジサイに触れたコトがある。
その花びらの裏側にデンデン虫がいて、それがいかにも雨宿りという気配で休息しているのを見て、小さな鮮烈を覚えたもんだった。
極めて透明な清楚かつ清潔な感触でアジサイの色合いとデンデン虫は印象づけられ、以後、季節に関らず、時折りに、その光景が念頭にフッと浮いてくる。
澄明で澄みきった遠い過去の、確固とした、それは私だけのイメージとして。
さすがに11月ともなれば雷はならないが、夏の日の、大きな雷鳴の直後の深閑とした一瞬とその後に続くザァーッ、という雨音も好きである。
そのザァーッ以外に音がない一瞬が好きである。
何か一切を洗い流して清めるようなその清廉な気配に身を置くコトが好きである。
11月の4日。
我が父が逝去した。
通夜の夜、父の姉(もう80を越えたか)がポツリ、
「死んだ日が晴れなら、生まれた日も晴れだよ」
と、申された。
11月4日の岡山市は快晴であった。
遠い70年前、父がオギャーと生まれた日は、抜けるような好天であったろうか。
半信半疑ながらも、ふと晴れていたような、そんな気がする。
翌日の葬儀とそれに続く一週間。
岡山市は快晴続きである。
天晴れは永劫続くワケもないから、まもなくは曇ってくるに違いない。
もう降るかな、11月の雨。 |
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