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流れよ涙
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どんよりとした薄曇りな浜松の駅でその子は乗ってきた。
一抱えもある大きな青色のキャンバスバッグを、荷物棚に上げるでなく、その子はそれを抱え持ったままボクの隣りに坐った。
長髪で、一見、女の子と見紛う優しい顔つきだったけど、オトコの子だった。
20歳代の前半という年頃に見受けられる。
バッグの大きさゆえに座席はたちまちに狭くなる。
そうでなくとも新幹線の座席は窮屈だ。
気がきかない子だなぁ、と思いつつボクは煙草に火をつけ、窓の外を流れる小景にボンヤリと眼を馳せる。
浜松辺りから静岡へと至るその辺りは田んぼより畑の方が多い。
レンコン、ハクサイ、ネギ。
そういった野菜畑が次々に眼前を過ぎていく。
貝塚イブキで周囲をキチリと囲った家が多く見られるから、この辺りはひょっとしたら風がキツイのかなと思ったりもする。
新幹線。
岡山から東京へ出張する時、ボクは自由席を利用する。
1時間に一本、岡山初東京行きが出ているので座席の確保は容易である。
指定席を取る必要はない。
次の停車駅の姫路辺りで満席になり、大阪を過ぎると既に席がなくて立ったままの乗客が多数となるというのが、最近のパターンである。
どの時間帯のそれも、満席である。
「のぞみ」の便数を増したがために、自由席のある車輌が少なくなり、結果、自由席が混みあうという風潮である。
岡山に住まうゆえ、たまたま席の確保がた易いというコトになるのだけど、乗客の多さは、坐っていてもやや閉口する。
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さて。
浜松で乗ってきた大きなカバンの子である。
カバンを膝に乗せ、その上に顔をのせるような按配で黙してジッと前を見ているのだけど、最初、その子は風邪をひいてるのかと思った。
幾度も鼻をすすり上げるからテッキリそうだと思ったのだ。
ボクは煙草をもみ消し、缶ビールを今度は口にはこんだ。
その一瞬、隣席のその子をチラッともう一度観察してみると、おやまぁ、風邪ではないのだ。
泣いている。
眼がクチャクチャに濡れ、頬が涙に光っている。
鳴咽はこらえているものの、たえず、すすり上げ、鼻先も濡れている。
当然に、結論は一つである。
彼は喜んでいない………
何があったかは知る術もない。
誰にしろ、多かれ少なかれ、飲みたくもない苦渋を飲まねばならない時がある。
失恋やら失意やら失望やら失格やら失脚やら失業やら失禁やら失権やら、およそ「失」の字で始まる何事か・・
"失"あるいは"苦"がつくであろう何れかが彼の上に覆い被さっているコトだけが確かである。
何かの試験におちたか?
会社をクビになったか?
肉親が死んだか?
恋人が死んだか?
よからぬ想像をアレコレめぐらせ、彼の哀しみの在処をまさぐってみたけれど、無論、判ろうはずはない。
大のオトコの子がこうして涙にくれているのだから、痛切な悲しみあってのコトであろう。
試験に落ちたとか会社をクビというのでは涙に至らないとも思うと、ここはやはり、何者かの死というコトになる。
見て見ぬフリのまま、ボクはビールをコクリと飲み、窓の外に視線をそらす。
その昔、フィリピンのマニラの空港近くのホテルで、朝の5時に、号泣しているオトコを見たコトがある。
ヨーロッパからの帰路、日本に台風があり、帰国出来ず、結局、マニラで一泊というアクシデントに見舞われた時に垣間見た光景である。
早朝というのに清々しい気配がこれっぽっちもない、赤茶けた、蒸れた熱さの湿気の中で、シャツ一枚の男は路地にしゃがみ、無性に両手を宙に上げ下げしつつ、クシャクシャになって泣いていた。
30代後半か40代と思われる年齢のオトコだった。
半ズボンから伸びた細い足やサンダル、シャツのくたびれた気配、シワクチャな髪、顔、涙・・
朝の5時に路地で泣かねばならなかった哀切・・
きっとこれ以上に悲壮なものはないなと詠嘆させられる程に、男の顔は汗とも涙とも見分け出来ない濡れた暗いカタチとしてボクの頭に刻まれたけれど、新幹線の隣りの席の子の涙を思うと、マニラのその涙と、この子の涙とが音もなく通底してしまう。
悲痛が伝染し、ボクはちょっと重くなる。
疾過する車輌な中で、薄暗い繭の中に閉じこめられていくような云いがたい暗い気配に侵食されてしまう。
さりとてこの場合、お隣に声をかけるワケにもいかない。
「どないしたんや?」
と問うのはむしろ失礼とも思われて、ただ黙ってビールを煽る。
流れる景色の中に自分を溶け込ませる。
曇り空模様の天候が鬱積するような気分に呼応し、景観は鉛のようなドンヨリした色に沈む。
悲壮の色、悲嘆の色、悲憤の色、悲痛の色・・
鉛の色をした畑が、やがて鉛の色をした茶畑になり、ひかり号は静岡駅に到着する。
オトコの子はそこで降りた。
おそらくは互いに、生涯二度と遭遇するコトはないと思われる。
席を立った彼の背を一瞥し、ボクは小さく眼で呟く。缶ビールで密かに献杯する。
さようなら。
君に幸あれ。
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新幹線開業10周年を記念して作られた「国鉄時代」のグッズ 非売品
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