恐いコトバ・こわい言葉
 ジョン・フォードといえば、男っぽい映画を作るコトで有名な監督さんだったというくらいは誰でもしっている。
 これにジョン・ウエインがからめば、骨太い、空の青い映画が出来る。
 この両者が四つに組んだ『恋愛映画』がある。
 1952年に公開された「静かなる男」というタイトルが、それだ。
 1952年といえば、私だって、君だって、生まれていない。
 二人のでっかいジョンが恋愛映画というのも、何か可笑しいが、それでも、この作品は1952年度のアカデミー監督賞と撮影賞、ヴェネツィア映画国際賞とイタリア批評家賞と国際カトリック事務局映画賞と・・ なにやら賑やかなコトになっている。
 純然たる恋愛モノゆえジョン・ウエインは銃さえ持っていないのだけど、劇中、敵役としてデッカイ男が出てくる。
 こいつが始終、ちょっとしたコトで誰彼かまわず因縁つけちゃうワケだが・・
 その脅しコトバが凄い。
貴様の名前を手帳に書くぞ!

 脅し文句というか捨てゼリフとして、 昔からある常套句としては、
「貴様、おぼえてろよ!」
 が定番だけれども、手帳に名を書くぞ・・ は、あまりない。
 あまりないが故に、なんだか、底のないような恐さがある。

 その昔、郵便局が土曜のお昼12時迄は営業していた頃、12時を数分過ぎて局に出向いたコトがある。
 で、窓口の人が慇懃に時間外だからダメというので、ちょっと頭に来た。
 ほんの数分なんだ。
 ほんの数分時間外だけでペケなのか。
 そう喰いつくと、規則ですからと対応の男は云いやがる。
 それで思わず、私は言った。
おまえ、タニシにするぞ・・
 タニシというのは川にいる貝みたいなモンだ。
「え?」
 局員は、
「何と、おっしゃいました?」
 そう聞き返した。
 こんな時、聞き返されると発言者も困る。

 ながらく、何故あの時、タニシが口をついて出たか、私には謎としてあったのだけど、最近、薄っすらと事態が溶けてきた。
 映画だ。
「七人の侍」
 この劇中、三船敏郎扮する菊千代がこう発言するんだ。
この、タニシ野郎
 どうやら、原典はここにありそうだ。
 局に赴く前夜だかその前々夜に、きっと私は、「七人の侍」をビデオで見てたんだろう・・・。
 が、タニシ野郎とタニシにするぞ、ではかなり差異がある。
 タニシ野郎と呼ばうるからには、相手が既にタニシ同然の身というコトだろうけど、そして、それへの嘲笑なんだろうけど、タニシにするぞ、というのは・・ こちらが先方をタニシに変身させねばならず、コトバとしても、感触としても妙チキである。
 なにより、唐突である。
素巻きにして海に放りこむぞ!
 ならば、状況をいっさい説明していて、相手にも親切なんだけど、「タニシにするぞ!」では、魔法か錬金術が必要とも思われるし、ましてや、相手に対してはなはだ判りにくいという欠落がある。。
 例えば、「ツクダニにするぞ」と言えば、暗に『加工』がコトバの背後にあるから郵便局員もキット納得いったに違いなかろうが、「タニシにするぞ」は、こりゃ、まったくワケが判らない。
 ヘタすると、タニシを知らない人もいる。
 捨てゼリフとしてはカッコよくもない。
「え?」
 と、聞き返されるようでは・・ ペケである。
 ただ・・ 「手帳に書くぞ」に通じるなんだか判らない得体のない恐怖はあると、思う。
 対応した局員の脳裏では、その場では素通りしたとしても、後々、ジワジワ、染み出すように、「タニシにするぞ」がテーブルに落ちたインクが黒いシミの輪となって拡散していくように、暗鬱な気配のある影として、広がっていったのではなかろうかしら・・。

 別に誰かを恫喝しようというのではないよ、ムロン。
 人をビックラ怖がらせるには、如何にモノ云うべきか・・ なんか、今回はそんなコトを脈絡もなく考えてコレを書いてる次第。

 映画「シャイニング」は、故キューブリックの意向で、今、DVDやビデオでの観賞においては、映画館での横長いサイズではなく、トリミングされたテレビサイズのものでしか見るコトが出来ない。
 そのコトがいささか残念なのだけど、映像の作りとして、「シャイニング」は「2001年宇宙の旅」の延長と拡大にあると私は思っていて、音の効果といい、シンメトリーを多用した絵画的シーンの多さといい、ある意味、「2001年宇宙の旅」を凌駕するホドに、素敵な構図でもって眼を愉しませてくれるのであるが、さて・・ あのジャック・ニコルソン扮する作家志望者のタイプライターで打ちだされた、膨大な量の、同一短文、
All work and no play makes jack a dullboy』 
 のおぞましさは、今もって忘れがたい。
 映画館の暗闇ではさほどとも思われなかったけど、館から出てトボトボ歩いてる内に、フイに、ユックリとえぐられるように、足元から、あのシーンの恐さがやってきて、私はゾッとし、戦慄に鳥肌だった。
 この場合、黙々耽々延々と記し続けた行為そのものが恐怖の主旋律なのだが、過去見たどんなオバケの映画よりも、この恐さは鮮烈で、衝撃で、強靱で、深かった。時間が経つ内、さらに鮮明さが加わって、恐怖は、まるでカイロによる低温ヤケドのように、ジワジワといつまでも、この映画に接してもう21年の歳月が流れるというに・・ なおもって私の内裡から消えるコトがない。

 その逆もあるんだろうな・・
 例えば太古の時代、金色の草原に出没し、駆け、飛びかかり、牙を向き、荒々しい絶対的な力でもってコチラを粉砕する四つ足の魔物は、そこに住まう者にとって身竦むばかりの圧倒的な恐怖の対象であったろうが、それに「ジャガー」という呼称が与えられた途端、闇雲な魔性さは失せたと思うんだ。
 それは得体のしれない凶兆をもたらす
魔物でなく、ただの、大きな、牙のある、ジャガーという名のというふうに定義が変わるんだ。
 恐怖は恐怖のままであり続けるのだけど、その恐怖にはもう、かつての神秘性がないんだ、ネ。


※ All work and no play makes jack a dullboy
  仕事ばかりで遊ばないジャックは今に狂うだろう
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