上に上アリ

 カリンのお酒・・ (^_-)
 得意になって自慢してたら当のカリンそのものを贈ってくれた京の知人が電話をかけてきた。
「3年間・・、寝かせたカリンの酒がお台所から出てきたぜ」
 そう申されるのだ。
 うっかり忘れて放置したか、あるいは、そのつもりで熟成させたかは聞きもらしたけれど、ともかくも、3年とはまた・・
「3年か?」
「3年だ!」
「色は?」
「濃いブラウンや!」
「ホォ〜〜ッ」

 我が机の上に鎮座する自家製カリン酒の色合いは、薄〜い琥珀だ・・
 琥珀といえば聞こえはよいが、薄いお茶みたいな色といってしまえば、それまでだ。
「ブラウンね〜、味はどや?」
「極上。ブランデーのごとし」
「ホホ〜ッ」

 ブランデーときちゃったか。
 羨望めいた感慨が湧いてくるのを見透かしてか、京の友は、
「そっちへ送った」
 嬉しいコトを申してくれる。
「ただし、量が少量ゆえ、半分を送った」
 半分でも三分の一でも、グラスの底にチョビリでも、このさい、文句のカケラもない。
 ひたすらありがたいばかりゆえ、電話に向け、感謝多謝のコトバを重ねに重ねて申し上げた。


 翌日、小包が届いた。
 まことに濃いブラウンだった。
 葡萄が下敷きにあるワケではないので紅みこそないけれど、モルト・ウイスキーのような、寝かせた、熟成した気配が色にしっかり滲み、むしろウイスキーの色合いより、濃い。
 封をあけて香りをかぐと、3年の年輪が醸す、酒精の濃い香りがたって、思わずながら、
「ホホ〜ッ・・ 」
 呻いた。
 化学で申せば糖分とカリンのタンニンによる経年変化の賜物というコトになるのであろうが、それにしても、3年という時間が作用する、その「力」の絶大を見せられたようで、いささかの衝撃をおぼえた・・
 一種の貫禄が、色、香り、それぞれに附いていて、数ヶ月で瓶詰めした我がカリン酒を横手に置くと、これはもう比較の対象でないコトが瞭然とする。
 酒が呼吸しているコトが、この2つを並べるとよく判る。
 呼吸はまことにもって静かだけれども、あきらかに、明晰に、瓶の中で酒は生き、いい感じの「オトナ」になっている。

 グラスを持ち出し、少し注ぎ、チビリ、飲んでみた。
 甘さをベースにした濃厚な何物かがノドを過ぎ、胃にとどいた途端、ホワ〜〜ッと熱いものがあがってくる。
 寝かせると酒は度数が増すのかしら・・ その辺りの科学は判らないけれど、嬉しい気色が込み上がる味であった。
 甘味であるから、生(き)のまま、ガバッ、と飲む酒ではない。
 湯割りか、水割りか、ソーダで割るか、という基本は、我が数ヶ月のモノと一緒である。
 一緒ではあるけれど、滋味の浸透の深さがケタ違いである。
 香味、風味、甘味、酒精の濃淡、一切が眉目清秀にして格段に上である。
 
 リキュールであるから、永く寝かせればよいというモノではない。
 経過がなが過ぎれば、度を越した甘味さの中に酒精や香味が埋もれてしまう。
 さりとて、はや過ぎても、滋味の沸点を見ずして消費というコトになる。
 何にしろ頃合いというモノがあって、時期を逃すと、冷めたり、褪せたり、という具合になるものだけど、時期見計らって、適時をうてば、まことに深淵なモノが出来ちゃうという、これは一つの証やも知れないぞと密かに思いもした。
 もしかすると、3年というのは、このカリン酒にとっての旬(しゅん)なのかも、しれない。
 滋味、滋養、芳香の頂点であるかもしれない。
 中国ではこれを百尺竿頭という。
 ひゃくしゃくかんとう。
 100尺のサオの先という字句をあて、向上しうるものの極致をたとえる。
 上に上アリ。
 そんなオシャレなコトバを浮かせつつ、また、チビリ。
 ゴクリ。
 チビリ。
 ゴクリ。
 いいものを貰った喜悦がお腹を熱くしつつ、湧いてくる。
この違い・・ 左が数ヶ月のカリン酒。右、3年の王様。

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