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| 毎年、9月の中ごろから、山形県方面においては、河川敷が賑わうというコトになっている。 秋の日の一日、川べりで、皆が集い、鍋を囲むのである、ナ。 大きな鍋。 湯がたぎると、さといも、牛肉、ねぎ、の三品が放り込まれる。 ネギは白ネギ、青ネギ、ともかく太いヤツ。 基本として、この三品。 味付けは砂糖醤油。 引き締めのために食塩をふりかけるという場合もあろうが、材料としては、それだけ。 たった、それだけ。 これを「いも煮汁」という。 程よく煮えたら、銘々、用意した椀に取り、お箸で食べる。 飲みつつ、食べる。 談笑しつつ、食べる。 河川敷でコレを食べるのを「いも煮会」という。 来るべき、厳しい寒さの冬を前にして、秋の一時、川原で仲間達とワイワイ食べる。 |
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| 寒い北国とはいえ、 里芋は日持ちがせず長く置くと水っぽい味になってしまう・・ 長い冬を迎える山形にあって保存すべきは保存し、食えるモノは冬を待たずに食いに食う・・ 「いも煮」の発祥の本質はどうもそんなトコロにあるらしい。 江戸時代の当初は純粋にイモのみだったが、明治期か大正には、これにネギを加えるコトになった。 白ネギは当時は贅沢な品であったようである。 そこにさらに牛肉が加わるが、これも大正時代辺りから、そうなったらしく、多くは油揚げが入っていたともいう。 |
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| 山形方面においては、これは既に風習であるから、秋になると、皆が皆、川原へと集合し、円座を組んで「いも煮会」を催す、らしい。 らしい、というのは、私がそれを経験したコトがなく、あくまでも伝聞でもって知っているという範疇にしかないので、実像を思い描きつつつ、おそらくはこうであろうと空想しつつコレを書いているからだ。 春の桜が咲く頃合に、 「もう、お花見には行かれましたか?」 と、時候の挨拶めく言うのと同様、山形方面においては、 「もう、いも煮会には行かれましたか?」 との会話があるのではなかろうかと、私は今、勝手に想像したりもしている。 いうまでもないけれど、岡山にはそういった風習はない。 夏から秋、秋から冬へと、各々個々の移ろいへの思いはあっても、皆で、文章の狭間に句読点を打つような催しは、ない。 既に江戸時代から「いも煮」はあったようであるから・・ というコトは、既に100回オーバー、100年オーバーの歴史が積み重ねられた「食い物」という意味になろう。 伝統であり、恒例であり、毎秋の色彩の確固とした色あいというコトになるのであろう。 |
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「いも煮会」を知ったのは今から15年ばかり前だ。 山形の天童市に住まうM氏と親交が出来、その彼から河川敷での催しを聞かされたのがはじまりである。 聞いた当初、「会」という語に微笑ましい思いを抱いたけれど、「いも煮」というその名から、若い私が連想したのは、どこか貧しさのある食事の光景であった。 イモじゃなぁ〜、とコッソリ嘆くような、 量的にも質的にも、おおよそ、不満足な鍋という感触を持ってしまった。 |
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| しかしながら、「いも煮会」という、私にしてみればモノ珍しい催しは、『珍しい』という冠詞がゆえに記憶の中から消えるコトはなかった・・・ やがてM氏との親交が途絶え、山形は遠のき、私の中でははるかな、いよいよ距離ある地となった。 年月が経ち、時に、本で、紀行文のようなものの中に山形が触れられ、高橋克彦氏の、これは随筆だったと思うが、山形の「いも煮汁」の美味さを称えた文に出会ったりした時には、懐かしいような、それでいて依然として実体は知らないという、妙な、湯のようで湯でない感触を持ったりもした。 記憶というのは可笑しな作用を時に働かせるもので、やがて、知らず、いつの間にか、「いも煮」とM氏の丸い顔とが一つのセットになって私の中に棲まう事になった。 「いも煮」という単語に出会うとM氏が想起され、M氏を思いだすと「いも煮」が登場するという按配で、我が頭の中ではM氏は、たえず、川辺にて鍋を煮ているという構図と化してしまった。 一つにはM氏の体躯が、どの方向から眺めてもカドがなく、丸く、柔和で、けれど、明らかに芯が一本通っているという気配が、イモのそれに似通っていて、連想の直結が容易であったというコトになるのだろうけれど、ともかくも、山形といえば「いも煮」ないしは「いも煮会」というコトとなってしまった・・・ 記憶の底の方で、いつまでも煮えている、けれど一度たりとも食べたコトのない鍋という事態になってしまった。 そこに、N氏が登場する。 山形市に住まう。 遠距離ながらも 仕事の仲間として、今、N氏は重要な役割を担ってくれている。 そのN氏が、まったく、奇妙な偶然でもって、M氏と接触するコトとなり、当然にそれは私とM氏との再会をも意味するコトとなった。 記憶の底の方にあった「いも煮」がM氏と共に浮上してきた・・・ 都合のよいコトに、そのN氏もまた肉体的にカドのない人物で、私の「いも煮」の連想はM氏・N氏とが巧妙に見事に直結されて、ついに、一つの壮大な大きなイモの輪とも言うべき、まことに美味そうな気配になってきた。 もちろん、ここで云うイモはサトイモだ。 里芋とも書くし、畑芋とも書く。 やや白っぽく、サツマイモのように毛の生えない、淡白な気配と佇いを呈する、イモだ。 このイモが、M氏とN氏に直結したイメージとして、私の中にあるワケだ・・ 山形といえば米沢辺りが高名で、天童市や山形市はあまり脚光を浴びないけれども、例えば天童市は、規模は小さい街なれど、織田信長の家系がいた地である。 米沢の上杉、天童の織田・・ 江戸期に入る前の華々しいヒーロー達の末裔が、この、おそらくは冬の厳しい地に、半ば封印されて住まったワケで、ふとその事を思うと、我が友両名も、気品ある武士の末梢に位置するのではないかしらと考えたりも、スル。 両名共々、体躯は丸く、デカく、一見質朴、一見無口なれど、実体はそうでなく、時に多弁、芯があり、頑なで、一途で、人一倍優しいというトコロで見事に一致し、強いて言えば、ヤヤ垂れ目というトコロも同じである。 この両名をもって山形の方々一切がこうだ!と言ってしまうワケにはいかないけれど、少なくとも、良き人が住まう所が山形だという印象は、強く持たらされ、併せて、サトイモとの連想があって、ゆえに「いも煮」への興味がまたまた・・ 一段と深まってしまった。 で。 さて。 先日。 会うたび、口をきくたびに、我が口から「いも煮」がこぼれるのに、いささか辟易したか、N氏が「食ってみなはれ」とレトルトの「いも煮」を郵送してくれた。 山形の空港の土産店に売られていたそうである。 あるんだなぁ、こんなモノが。 |
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パッケージには「いも煮会」とある。 「いも煮汁」でなく、「会」を用いているトコロに、この地での「いも煮」の大いなる普遍性とその位置付けがうかがえる。 15年の長期に渡り、我が心の奥底にあった「いも煮」なるものが、遂に眼前にあるのだとシミジミ実感しつつ、また実感が深く浸透するにつれ、そのパッケージが稀少な宝石にも思えてくる。 至極当然ながら、山形に住まう方は、このようなパッケージ食品など買うハズは、ない。 家庭で、河川で、それは作って食べるものであろうし、まず、マチガイなく買う代物ではない。 |
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| されど未だ部外で山形に出向いたコトもない当方にしてみれば、これぞ、本場のホンモノやがな・・という感動がある。 総体としての「いも煮会」には遠いけれど、「いも煮会」の実際の片鱗は知るコトがこれにて可能である。 N氏は、短い文を添えてくれている。 「さぁ、長ねぎのご用意を・・」 ただの一文、そう書いてアル。 超がつく短文なれど、優しい思いの波長は長い。 遠い地からの、思いもよらぬ贈り物。 それゆえ、直ちに即座にレンジでチンというワケにも行かない。 ここ数日は、このパッケージだけを肴に、飲むコトと決めた。 中身は日をあらため、食すコトと決めた。 「いも煮」は、さといもと牛肉とネギだけの、ドッてコトのない食べ物である。 それは判っていてなお、痛切さのある稀少が眼前にあると、思われる。 やっぱり、人なんだ。 フッとそう思う。 「いも煮」を介して私は、私が知る風土とはまったく違うトコロで育った二人の男を知りたいんだ・・ ビールを飲み干しつつ、そう思っちゃったり、スル。 もちろん、この場合の「知りたい」には、ヤらしいカケラなどコレッポッチもないっすよ〜〜。 ぁああ、それにしても、パッケージの写真・・ なんと、旨そうなコトか。 |
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