通勤の道すがら

 色々な、それぞれの時間帯があろうけど、ともかく、通勤だ。
 通勤というのは、ほぼ定時に、同じ道を、同じ時間をかけて行き来するというコトで大筋マチガイではあるまい。
 私の場合でいえば、10時25分に家からスクーターで駆け出すというのが日課である。
 新幹線沿いのまっすぐな道を西へ走り、次いで、少し遠回りになるけれど車の往来の少ない道であろうと値踏みした道路を駆ける。裏道というヤツだ。

 田畑以外の何者でもなく、のどかな景観を醸していた原尾島という辺りは、今は大型の商店が居並び、繁華ではあるけれど、ありきたりの、日本のアチコチで多々見られる、ドッテコトのない風景へと転落してしまった。
 それに連れて車の量も多くなり、スクーターで走行するのはちょっと恐い。
 けれど、一歩、幹線から脇の小路へ入れば、そこはまだ昔の面影をたっぷり残して、静かに後退し風化している気配なれど、多少の親和があり・・ 何よりも交通量が少ないので、やや走り好い。
 とはいえ、車の洪水から逃れる術はもはやないワケで、裏道とて、気はぬけない。
 地域の特性を知った者が近道と判じ、時に猛速でもって駆けったりもする。
 それは大型の4WDであったり軽四であったりするけれど、か細いスクーターからしてみれば、危ないコトに変わりはない。

 原尾島を抜けると、旭川に出る。
 アサヒガワ、という一級河川で、岡山市はこの流れでもって二分されている。
 川の中洲にあるのが、後楽園という大きな日本庭園である。
 作られて300年が経過する、規模の大きい庭園で、観光に岡山を訪れる方はほぼ間違いなく、ここに来る。
 多くはバスで連行されて、来る。
 この名園は中洲ゆえ、橋がかかる。
 中洲というのは、川の真ん中に土砂が堆積して出来た島だと思えばよい。
 ゆえに橋が、ある。
 岡山市の中心部と後楽園を結ぶのが鶴見橋(つるみばし)。
 原尾島方面と後楽園を結ぶのが蓬莱橋(ほうらいばし)。
 蓬莱橋は近年、大がかりな工事が敢行され、ちょっとシャレた感じの橋になった。
 長い橋ではない。短いけれど、後楽園という風光に見合う形としては、まぁまぁ合格点をあげてもよい・・ と思われる橋となった。
 ちなみに、江戸時代からあったという橋ではない。
 江戸の時代、後楽園は当然ながら庶民のものではなかったし、橋が必要となったのは昭和のはじめ頃である、らしい。
 近くに京橋というのがあり、往来はそれで充分であったのだろう。
 江戸時代には、この京橋から、竹と和紙で作った羽根をはばたかせ、表具師の幸吉さんが川面に飛び込んだりも、した。
 今や多少は全国に知れた「事件」だけれども、飛行というより落下であったに相違なく、ケガこそなかったけれど、水は、おそらくは冷たかったろうと同情する。

 さて。
 蓬莱橋。
 蓬莱は、霊山とか仙人が住まう地という意ゆえ、この後楽園の橋としては、あんまりふさわしいとは、思えない。
 思えないけれど、言葉の響きとして、ホウライは、嫌いではない。
 後楽園の外周に沿って竹が植えられており、これが蓬莱竹という種類であるならば、ひょっとすると、それにあやかってつけられた橋の名かもしれないが、この辺りの仔細は判らない・・ もし、そうであるなら、それはそれで好い命名と云わずばなるまいが。

 原尾島側の橋の真ん前には竹久夢二美術館がある。
 屋根の中央に風見鶏が置かれた 赤レンガ風の建物で、大正期の洋風を摸しているけれど、あくまで「風」であって、建物はレンガ作りですらない。
 どことなく特徴がなく、安普請の風情があり、この一事に大正ロマンが半減し、いまだ私は館内に足を運んだコトが、ない。
 御予算というコトもあったでしょうが、演出という点においては落第でござるよ、と申したい。

 この美術館の横は、焼肉屋だ。
 蓬莱橋の新造に伴い、この店も大改築し、三階だての大きな焼肉店となった。
 屋上にネオンのカンバンがあり、赤い字で「焼肉」と書いてある。
「焼」と「肉」の二文字と、やはり赤色の、ダルマさんの絵が、合計三枚の四角いアイコンとして設置されている。
 後楽園側に向けた壁面と道路に向けた二面に、デカデカと、これが配されているワケだから、ここを訪れるとイヤでもそれが眼にはいる。
 竹久夢二美術館は眼にはいらずとも、焼肉の二文字とダルマの絵は、おそらく、この後楽園を訪れた人には、園内の景観とセットになったイメージとして深く定着するのではなかろうか。
 批判しているのではない。
 日本の景観というのは、そんなもんやろ、これも典型でんがな・・ と申している。

 原尾島側からこの蓬莱橋へ到る道路は、橋の前で三叉路となっていて、ここでたいがい、信号待ちを余儀なくされる。
 毎朝、橋に一番近いトコロで(なんせスクーターゆえ前へ前へと進んじゃうワケね)、信号を待つ。
 すると、きまって、橋を渡り、私の方向でなく、私の前をよぎる形で南下するバイクを目撃するコトになる。
 ホンダのバイク。モンキー。
 この小さなタイヤの50CCにまたがる人は、端麗な顔立ちをした20代前半といった年齢の方だけど、特徴として一点をあげるなら、モスグリーンの、第二次大戦の時のドイツ軍のヘルメットを着用していらっしゃる・・
 似合っているかどうかは、さておき、ヘルメットが特異ゆえ、知らず、眼にとまるようになった。
 毎度毎度、蓬莱橋にてこのドイツ兵と遭遇するトコロを見ると、先方も、その時間に、どこかへ通勤ないしは通学というコトになるのであろうけど、お互い、極めて厳密に行動している節があり、双方、判をついたように橋のタモトで目撃されるワケだから、ちょっと、可笑しい。

 私の方から見ると、彼は動いているワケだけど、彼から見れば、私はたえず、ダルマの看板を背景にして待機している動かぬ光景の一点というコトになる。
 で、いつのまにか、彼の方でも私に気づいたようなのである・・
 最近、橋の前を右折しつつ、彼は私の方に視線を送るようになった。
 視線を進行方向でなく、ちょっとズレた位置にいる私の方に這わせつつ右折する。
 何者だろう、と思っている気配があって、やはり、可笑しい。
 むろん、これはお互いだ。
 こちらはギャラリーに徹して眺めていればいいワケだが、先方は運転しつつ、同様な思いを抱だき・・ ちょっとやりにくいなぁ、なんて思っているかも知れない。
 実際、コチラに視線をそよがせた一瞬、運転操作にスキが生じ、アクセルを廻すタイミングがやや悪かったりする。
 綺麗な弧を描くように廻りたいトコロなれど、ギャラリーに気をとられて、役どころとしては、損やなぁ、って感じである。

 名も素性も知らないドイツ兵とモンゴル義勇軍の一兵卒(私だ)であるが、ともかく、そうやって、毎日、蓬莱橋にて出会う次第である。
 ドイツ兵氏が渡り、信号が変わると、今度は私が橋を渡る・・ 
 私の眼前を毎日走り過ぎていくドイツ兵のコトもその背景をも私は知らないのだし、ドイツ兵はドイツ兵で私を知らない。ましてや、こんなトコロで肴にされていようなどとは、彼は努々思いもしないだろう、ネ。
 たぶん。

 まったく、ただそれだけのコトだから、教訓も訓示もこの話には、ない。
 蓬莱橋のタモトにて朝の10時30分過ぎに、二つの人生が、毎日、無言で、交錯しているというに過ぎない。
 友となる確立も低く、ましてや恋愛に発展する可能性(苦)も皆無なれど、ドラマといえば、まぁ、ドラマだな、これも・・

 我が店はこの後楽園に程近い。
 蓬莱橋を渡り、鶴見橋を渡り、まっすぐ500mほど駆けた所をチョイと右に折れると、通勤は終わる。
 
 さぁ、仕事だ。
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