博物館の暗がりに
  県立のとある博物館の、その二階への階段を上がった斜め横に小さなテーブルが置かれていて、そこに女の人が一人坐っていらっしゃる。
 小さな、申し訳程度の机にはパンフレットもペンも花瓶も何も置かれておらず、ただ、彼女がそこにポツネンと坐っている。
 そこは二階のフロアを一望に出来るポイントらしく、警備と、それからちょっとした説明を求められた時に用立てられるよう、彼女は坐っている、ようである。
 岡山という地域での出土品やら物品のアレコレが、例えば、古墳時代の壺であるとか、室町期の仏像であるとか、江戸期の刀剣であるとかが、静物としてガラスケースの内に展示されている。
 館内は薄暗く、展示品を照らす照度の低い照明のみが部屋の採光である。
 県立の博物館という所は、たいがいにおいて数多の客が連日詰めかけるという場ではないので、晴れた日曜の午後とはいえ、やはり、来館者は少ない。
 外部の喧騒をよそに空気はユッタリと流れていて、薄暗く、静かで、展示されているモノがモノゆえに、まるで時間が静止したような静謐と穏健に館内は満ちている。
 ジッと坐っていれば自ずとイネムリしそうな「職場」である。

 注意を促さざるを得ないような客は、そうはあるまい。
 説明を求めようとする客も、そうはあるまい。
 私がその館内にいたおよそ1時間の合間、事実、彼女は声を発さず、立ち上がらず、のまま、終始、そこにいた。
 彼女は、たぶん、20代の後半か30代前半という年齢であろう。白いブラウスの上に青色のベストをつけていて、それはココの制服なのだろう・・

 退屈に違いない。
 けれど、その1時間の合間に、彼女の方を時折りコッソリ盗み見ると、イネムリする気配はない。
 むしろ、当方を含む来館者には気づかれぬよう、されど、明らかに来館者の動向を注視しているといった気配が濃厚である。
 背筋を伸ばして座り、顔はたえず正面に向けられていて、一種の不動として気配そのものを隠密になさっていらっしゃるけれど、盗み見るに、その眼はどこか炯々として油断が、ない。
 博物館は朝の九時から4時まで開いているから、彼女は終日、そこに、そうやって坐っているのだろうか。いや、たぶん、交代の、やはり女性の職員はいるだろう・・ が、それでも半日は、そうやって、ジッとスフィンクスのように身じろぎもせずに坐っているのではなかろうか・・
 そんな想像を巡らせてみても、何にも得にはならないけれど、これはコレで大変な仕事だなぁ、と密かに思わさせられる。
 県立博物館というくらいだから、彼女は県の職員に相違ない。公務員だ。
 公務として、スフィンクスをやっている。
 終日、その薄暗い館内に一人坐り、声も発さず立ち上がりもせず、まして、イネムリもせず、ジッと、眼だけで、あるいは多少に耳をもすませて、来館者の挙動を注視している。
 そうやって彼女は眼と耳に全体重を担わせたまま石像と化し、それでもって、たぶん月に10数万円の収入を得ているんだろう。
 ただ坐っているだけで、そんなに貰えるなら俺も私もその仕事をやってみたいワイ、などと思ってしまいそうである。
 ぁあ、なり代わりたいや、と笑みつつ思うハズである。
 けれど、それは浅はかである。
 まず、出来まい。
 退屈は何よりも恐ろしいハズである。
 ただ座り来館者を注視する職ではあっても、同時に、彼女は来館者からたえず注視されている立場でもある。一種の好奇をも含む視線に、ある意味では常に晒され続けねばならない。
 館内を一望するポイントにいるというコトは、逆に常に館内の人の視線を浴びるというコトに等しい。
それゆえ、イネムリはおろか、アクビ一つ、出来はしない。 身動きならないというのも、また、おぞましい。監視者としての役を担いつつ、逆に、終始監視されているという、いわば囚われの人である。小さな飾りのない机は彼女の牢でもある・・・・
 それゆえ、誰でも出来る仕事ではない。カカシの痛苦と痛痒を思い知らされる職であるに違いない・・・・

 だけれども、誰かが、それはやらなくちゃいけない・・・・・・
 博物館収蔵の、国宝にも重要文化財にも指定されていない数多の土器やら木製品も、やはり、非常に稀少なものに相違ない。金銭的換算で高価という次第でない価値が多分充分にふくまれている品々である。
 それらが展示されている限り、誰かがそれを守らねばならないし、誰かが、ある日、フイに質問を思い立った少年に対して、その展示の意味と内容を応えてやらねばならない・・・・
 だからこそ彼女はそこにいるんだし、彼女は、たぶんにその職務を意識しているに違いない。
 きょうの、例えば私は、質問もない大人しい来館者であったけど、声かけられれば答える用意は万全整っているに違いない。
 盗み見た範疇では、そのスフィンクス・レデイはプロフェッショナルだ。
 スックと延したその背筋の直立に良質な「姿勢」が窺えて好ましい。素人の眼には退屈な仕事か、あるいは、楽勝な仕事と思えるその立場に、ヌクヌクとうつつを抜かしている風情がなく、たえず、神経が館内にそよがれていて、天晴れであった。
 警護者であると同時に、道案内の役を一手に引き受けている心積り充分の、いっそ誇らしげな気配濃厚な方で、あった。

 そうやって、彼女は一日、ジッと坐って「仕事」をこなしているワケだ・・・・・・・・・

 質問者がいつ現れるかは判らないけれど、未知未定の質疑に対応すべく、常駐として彼女がそこに置かれている、この県立博物館を、ゆえに私は否定しない。
 終日、ただ、坐っているだけの彼女を否定、しない。
 博物館と、それを維持していくシステムを否定、しない。

 博物館には、めったとは行かずとも、博物館が維持運営されている社会というのは、イイもんだ。
 その使命をシッカと心得ている人が坐っている博物館というものは、イイもんだ。

 晴れた日曜の午後に、某・県立博物館を訪問して、以上の感想をおぼえた。
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