今から何年も何年も何年も前の25歳の時……(^.^)、思い立ち、かたく決意し……… 年賀状を出すのをやめにした。
理由はここには書かないが、とにかく、出すのをやめにした。
誰それにも彼それにも、ただの一通も書かず、出さず、受け取っても返礼せず。
黙秘を行使する犯人のように、ひたすら、ダンマリを決め込んだ。
で、今にまで至るワケだわさ。
賀状というのは、出す方と出される方の相互がハガキを交換しあうコトで成立しているような所があるから、毎年、せっせと賀状を出している人にいわせると、誰やらに送ったのに返事がないんだ、どうなってるんだろ、とヤキモキしたりする場合があるのだという。
で、その結果として、翌年の賀状のリストには、返事のなかった彼の名は消えるという次第である。
そうやって、かなりの人から徐々に消去されていったのが、私である。
前記した通り、賀状というのは、出す方と受け取る方が相互に融通しあって成立するようなトコロがある。
出さないと、相手からは来ず、返事しなければ翌年は無視される。
ある意味でこれは極めて冷淡である。
村社会的な匂いもある。新年の祝いにかこつけた互いの忠誠の試しあいのような感じである。
と、そのように、25歳頃の私は思っていたワケだ・・・・・・
今、元旦、賀状はほとんど来ない (^.^)
取引先の各種会社のものや、米屋や本屋や酒屋やジーンズ屋といった、これも取引先というカテゴリーに入れちゃうコトの可能な所からの賀状はあるけれど、友人関係は、これはもう少ない。
こちらが出さないコトを知っていてなおも毎年に送付してくれる方も複数いるけれど、総数は少ない。
元旦の恒例行事としてのバイトによる赤い郵便自転車での配達が、毎年テレビに映し出され、眺めていると、いずれの家庭にも極めて分厚いハガキの束が届いているのが判り、その好況と我が惨状を較べると・・
やはり、何か寂しい (^.^)
好んで、出さないという方針にしたのだから、サビシイ、ワビシイ、キビチイ、とほざく筋合いではないけれど、ポストの中から取りだす一瞬、魔物のように、もの哀しい情感が浮いて来るのを禁じえない。
やむなく苦笑し、タハハッとニガ笑うのを、元旦の白昼、もう何年も何年も繰り返しやって来ているワケだけど・・・ 毎度、年が変わるたびに、たえず、消えず、繰り返してその哀愁が湧いてくるのを第三者的に眺めれば・・ 賀状をもらいたきゃ、ともかく、書かにゃアカンヨ、という天声が届きそうで、これまた苦笑せざるをえないのだが・・ ともかく、初心貫徹、20年の長期に渡り、ただの一枚の賀状も送り出さなかった。
この正月に帰省した知人が訪ねて来て、彼がいうには、賀状を出さなくなった頃の私が、いずれ21世紀が来れば、また復帰させるさ・・ と、申していたそうである。
20代後半の頃に、そんなコトを私がハッキリと申していたというのだ。
「で、来年は21世紀や。とうとう年賀ハガキを出す年やで」
知人はそう言う。
俺、そんなコト言ったか・・ と訝しみつつも、なるほど、来年、世紀が変わるし、これは大きな大きな筋目でもあるし、ここは一つ、21世紀たる2001年より賀状を出してみるのも悪くはないか、とも、さらに思ったりもするのだが。
それにしても、20代の頃の私にとって、21世紀はよほどに遠いモノであったに違いない。
知人に来世紀になれば賀状を復活させるだなどと告げたのも、逃げ口上としての方便であったろうとは思うのだが、方便として使えるホドに2001年は遠い未来というコトであったろう。
その21世紀が、現実としてやって来ようとしている今から顧みれば、我が20代というのは、逆に、よほどに遠い昔であったのだなと思っちゃったりもスル。
20世紀最後の年は、早くも10日が過ぎた。
いかに来春の賀状を扱うか・・・ 既に、そんなコトで思い悩む私である。
出すべきか、出さず記録を更新すべきか、二者択一を迫られているワケだ。
生死の択一を迫られたシェークスピアの劇中の主人公ほどに劇的ではないけれど、いささか、これは難儀やなァ・・ とグッタリしつつ、思う次第。
ぁぁあ、どないしょう〜〜〜 (^0^) |