人類、月に立つ
 前々回の「月へ・40万Kmの彼方へ」を書いた時点で、実はこの本が出版されているコトをまったく知らなかった。
 嗚呼、不覚 (-_-)
 トム・ハンクスのTVドラマはBSで放映され、これは複数の知人から全巻を録画してもらい、ちょっと眼をはるような気分でもって見たのだけど、本のコトは知らなかった。
 そこで、遅ればせながら買い込んで、ページを開いてみた………
 
 そうか・・ まずはこの本があり、ここからあのTVドラマが生まれたのか・・
 TVドラマは邦題として「人類、月に立つ」があてられているが、オリジナル・タイトルは「FROM THE EARTH TO THE MOON」だった。
 原作としての「人類、月に立つ」を足がかりに、原作では触れられていない部分での話を特化させ深化させ、それをビジュアルとして見せてくれたのがTVドラマ「FROM THE EARTH TO THE MOON」であった。
 本からのただの引用でなく、本から割愛された部分を掘りおこし、耕し、かつて誰も光を浴びせなかった裏方にまで焦点を絞り込んだ、極めて高品位なドラマが、「FROM THE EARTH TO THE MOON」であった。
 秀作に価いするドラマを構築したトム・ハンクスには敬意を表したい。
 さて、その本だ。
 上下巻2冊の大部であるけど、これは読むと止まらなくなる。
 それほどに面白い。
 トム・ハンクスもきっとワクワクして読んだに違いないのだが、映画やTVドラマやドキュメンタリー番組といった映像情報で、かなりのコトは知ったつもりでいたけれど、こうして「人類、月に立つ」を読むと、知らなかったコトが次々に飛びだして来て、蒙を開いてくれるような驚きの連チャンである。
 上巻の大きなクライマックスは、最初の月周回軌道にのったアポロ8号の旅にある。
 吐瀉物と糞尿にまみれ終始異臭に悩まされた(読めば判ります)旅が、結局は、月に行くコトによって「地球」を発見するという二重のドラマを内包したものであったコトが痛切に判ってくる。
 地球が1ケの天体である認識は誰しにもあったけれど、それを目の当たりに現実のものとして捉えるコトが出来るようになったのは、この8号の最大の成果であったろう・・・
 撮影された一枚の写真(下図)は、「それ以前とそれ以後」にクッキリと分別されるような痛切な何かを含んだ鮮烈であった。
 今、私達は特別な想像をめぐらせるコトなくイメージとして極めてクッキリと地球を思い描くコトが出来るけれど、僅か30年ばかし前のあの時点までは、実は正確に地球をイメージ出来る人はいなかった。それはあくまでも想像としての"こうであろう"というイメージの範疇での地球だった・・・
 打ち上げ台のロケットに向かう飛行士の映像は諸君も一度はTVで見たコトがあるだろう。
 チューブで宇宙服と連結されたアタッシュケースのような酸素ボンベを手にしてニコヤカに笑みつつロケットに向かうお馴染みのシーン。 
 宇宙服の着用は、あの発射台の近くで行われていたとズッと思い込んでいたのだが、読んでビックリ、 実は宇宙服を着けるビルから発射台までは13Kmも距離がある。
 このビルは「宇宙飛行士訓練センター」という名称だけれど、そこから打ち上げ台まではバスで移動するのである。
 映像のマジックというかトリックをまざまざと知らされたような思いである。
 着用してヘルメットもつけボンベの酸素で呼吸する飛行士達の映像には、13Kmの移動が含まれれていない・・ 撮ったカメラマンも放送局もそれを意図していたワケでは断じてないけれど、ニュースで見る限りにおいては、13Kmの隔たりが画像から喪失している・・
 今、私は13Kmという距離の大きさに、「えらく遠いなぁ」と思ってコレを書いているのだけど、当の飛行士達は40万Km彼方へ旅立とうとしているワケだから、それこそが「えらく遠い」道のりの筈なのだが、我が感覚は目前の13Kmのバスに揺られる道中の方にそよいでしまう。
 40万Kmが、長く遠いコトは意識としては判れども、手掴み出来る感触がないままに、ただただ「遠い」としか表記できない・・・・・・
 数値に対する感触というのは、原寸の実生活に密着しているようなトコロがある。
 例えば、iBook を買おうと思うと、198000円という金額がどういった位置にある額面で、それは捻出出来る額であるけれど、高いなぁ、税込みで20万7900円もするやんかぁ・・ といった鷲掴みが可能な数値として了解されて、高い安いの明確な意思表示が可能なのだけれども、では、私がマンションの一室を買うとなると、例えば、金額は2780万円とか3020万円といった大きなモノになって、実感として財布からその金額が出ていく感触が喪失してしまう。
 不動産屋が、
「3300万円になるけど、 システムキッチンをさらに取りつければ完璧な物件ですよ、コレは」
 などと申し出てくると、
「あ、いいねぁ、じゃ、そうしてもらお〜かしら」
 と、iBook購入に支払う198000円の場合とはまるで違う反応が生じてくる。日常の中に数千万という額がないので、これを手のひらの中の重みとして了解できない麻痺が生じてくる・・ 
 3300万円の購入品には165万円もの消費税がさらに付加されるというコトも含めて、感触は朦朧として頼りない・・・
 そうでないかい、キミも?
 額面が大きくなればなるほどに、この麻痺は進行するようでもある。
 アポロ計画で費やされた経費が、当時の日本の国家予算を上回っているという事実も、はぁ、さよでっか・・ と頷いてはみるものの、感触としての手応えがない。どえらい金額とは判っても、それがどれほどに途方もないかを、我がコトとしては知覚出来ない。
「人類、月に立つ」は、コチラの感覚をそういった原寸にまで引き落とすコトに成功している本であった。
 宇宙飛行士の出発直前の朝食がステーキと卵焼きだというコトや、月着陸船がゆっくりと移動しているように見えるが実は音速換算でマッハ5の猛速で月面に向かっているコトや、 当時のコンピューターが32キロバイトでしかないコトなどの他に、科学の基礎的諸々についても平易に記入されているから、私のような科学オンチにもアリガタイ。
 例えば、再突入時の、これまたお馴染みの耐熱シールドについて言えば、これは「強烈な熱に抵抗するのではなく屈することで船体を守る」と前書きし、本書では次いでこう記述される。
「煮えたぎるヤカンのなかの熱湯は、コンロの熱を吸収することで、ヤカン自体の加熱を防ぐ。それと同じく、耐熱シールドは、白熱して焦げ、やがて溶けてなくなることによって、再突入時の恐るべき熱を奪うのだ」
「そうすることで船内温度は一度たりともあがらない」
 ほほ〜、と呻くような見事な解説ではないかね。
 燃やすまいとするのではなく、シールド部分を燃やすコトで船体自体を守っているという、次第なのである。
 再突入に関してさらに言及すれば、シールドを燃やしきった後、地球の大気層に入ったアポロは、パラシュートを開いてただ落下するのみではないコトを、この本は教えてくれる。
 コンピューターは外熱をたえず検出し、大気分布を査察し、熱と重力負荷の軽減をはかって小さなブースターを断続的にふかしては高度の上げ下げを調整しているのである。
 高度が7000mになると制動パラシュートが自動で開く。このパラシュートのおかげで落下する司令船は時速200Kmにまで減速される。
 高度3300mになった時点でメインの3つのパラシュートが開く。
 スピードは時速35Kmにまで落ちる。
 船内気圧を外気圧に合わせるために通気孔が開く。
 余分な燃料が船外に排出される。制御エンジンが噴射される・・ 
 外部ライト点灯。
 着水までの合間にコンピューターは以上のような仕事を黙々とやっていたという次第。
 で、これでコンピューターの全作業終了かというと、そうではない。
 波のうねりによってアポロはひっくり返ってしまうのだ。それを検知する仕事もコンピューターである。ひっくり返った途端に、アポロ司令船の先端に取りつけられている3つの小さな浮き袋に空気が送り込まれる。
 逆さになった宇宙船の中で3人の飛行士はシートにベルトで固定されたまま、宙づりの格好になっている。これはキツイ・・ しかし、もっと切実な問題がある。通気孔が開いているから、船がひっくり返っていると、実は海水がそこから船内に入るのである・・ 一刻も早く先端の浮き袋を開いて、船を元の体勢にもどさなくちゃイケナイ。早く体勢を戻さないと水没してしまうのだ。
 上巻を読み終えた時点でこれを書いている。
 下巻はこれからだ。
 何が書かれているか楽しみである。
 私の中では、30年前の偉業は今も連綿と偉業として継続しているから、その全容、その仔細を知識として見聞出来るコトはこの上ない喜びである。
 ありがたいコトに幾本かの映画がある。
「ライトスタッフ」
「アポロ13」
「フロム・ジ・アース」
 TVで放映された良質なドキュメンタリー映画もある。
 幾つもの模型もある。
(このページのアポロ司令船の写真はモノグラム製のプラモデルだ
 そして、やはり複数の本と、ここで紹介する「人類、月に立つ」がある。
 偉業を多角で見渡すコトが出来る。
 軽量化のために月着陸船の外壁が実に薄く、工具を落としただけで床に穴が開くような代物であったコトや、しかしながら、月への軟着陸にはそれで充分であったコトや・・ それを思案し、決定し、あるいは否決し、実行する、多数の人を、知るコトが出来る。
「アポロ」という名の月着陸計画が、ケネディ政権以前のアイゼンハワーの時代に立案されていたものだというコトを知ったりもする。

 アラン・シェパードがたった15分程度、それもやっとの思いで大気圏外に出たばかりという時期・・
 1961年5月25日。
 J.F.ケネディは議会で宣言する。
 まだ発明もされていない技術多数を含む壮大な計画が、この一声で動き出す・・
 発生された瞬間、この一節は歴史となった。

....I belive that this nation should commit itself to achieving the goal, before this decade is out, of landing a man on the moon and returning him safely to the earth.
No single space project in this period will be more impressive to mankind, of more important for the long-range exploration of space; and none will be so difficult or expensive to accomplish.
 多角で見聞したこれらを、私はそれなりに頭の中でまとめ、一つの「アポロ・シリーズ」を編んでいく。
 もしも誰かにそれを問われたら、私は私のコトバで「アポロ・シリーズ」を語るコトになる。
 多数無数の史実から抽出された溶液を攪拌した「私のアポロ・シリーズ」・・・・
 告げるべくは『人の物語』である。
 そんな風にして編まれ語られるモノというのは、一体何だろう?
 記録ではない。
 大辞林によれば、「ある秩序・観点のもとにまとめた記録・文書」として『歴史』を置いている。
 前々回の「月へ・40万Kmの彼方へ」を書いた時、この辺りがやや無自覚であったようである。そうか・・ 私は「歴史」という単語を多少おろそかにしていたようだな。
 『歴史』はセピアに変色した教科書の中にはないんだな。
 在処は我が内に、ってコトなんだな。
 史実として何かが褪せて行くコトはあっても、歴史そのものは褪せるコトはない・・・・
 そういうコトなのか、な?
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