浮かぶ両腕
 夏はシャワーで済ませるけれど、さすがに、寒いシーズンとなると、簡易に入浴を終えるというワケにいかなくなる。
 なにしろ寒いワケだから、チビッとでも温もろうと湯船に身を沈めるコトになる。
 さりとて浴槽の中でジッとしているのはタイクツである。
 ぁあエエ按配じゃぁ、極楽ゴクラク、などとシミジミ思うようでは、なんとなく気分が老人っぽいという気配が昔からあったので、出来る限り、そのような親和を風呂の中では沸かせないよう、努めてきた・・
 合理的にただ身体を洗うだけという程ではないけれど、出来るだけサッサと済ませてしまいたいのが、入浴である。
 しかしながら、温もりも必要であるから、ある程度はジッと湯船に浸かってなくちゃイケナイ。
 そのカン、天井をボ〜と眺めたり、数をかずえたりスル。
 僅かに覚えしっている英語のフレーズを唱えたりスル。
 例えば、"Study to be Quiet"とか・・
 例えば、"Between devils and deep blue sea"とか・・
 で、時に身辺を観察しちゃお〜って気になり、左右の自分の両腕を眺めたりスル。
 浴槽の中でアグラをかくようなポーズで座り、だらりと手を下げてみると、手は浮く。
 むしろ、水底に接地させようとすると不自然になる。奇妙に、チカラが必要になる。
 できるだけ、両手の意識をそらし、手を文字通りのフリーハンドにさせるべく努力してみると、手が浮いているのがよく判る。
 この時、左右の手の意識をどれくらい抜いてしまえるかが、問題になってくる。
 手を浮かそうとすると、きまって、微かな作用として手に意識が宿り、ほんとに浮いているのか、自分で浮かせているのやら、ちと判別がつかなくなってくる。
 そこで、出来うる限り、意識を手から遠退かせる努力を、湯船の中で、一人で、黙々と、かつ熱中して、ヤル。
 肩のチカラを抜ききり、二の腕の意識を拡散させる。
 これが意外や、難しい。
 自由に浮遊しかけると、なにか無自覚なバランスを取ろうとするような拮抗が働き、シャンとせ〜よ、という感じの微かな信号が大脳の方から流れてくるようなのである。
 制御機能としての、そんな微細な働きを無視し、心を静め、身を沈め、半ば忘我の境地でもって、手を我が意識から切り離す・・・
 そうやって苦戦していると、やがて、おそらくはコレがそうであろうなという瞬間が来る。
 手は浮いている。
 水面に顔を出すには至らないが、だらしなく前方に浮遊し、ちょうどフランケンシュタンの怪物の手のポーズのような格好になる。
 成し遂げたコトの大小はともかく、 腕を浮かせたまま、成功の悦びを少し味わう。
 自分のモノでありつつ見ず知らずのモノのような、左右の浮いた手を眺めつつ、ぁあ、この心情は写真には撮れないなぁと、あたりまえのコトに気づいたりする。
 海やらプールではムロン身体は水に浮くけれど、両の腕のみの浮遊感を覚え知った人は、そうはいないのではないか・・
 成功とは何と孤独なもんや、と感じ入ったりスル。
 バカやってるなぁ、とは決して思わぬコト。これも肝心。


 で、風呂から上がり、濡れた髪を乾かしつつ、冷たい水割りをすする。
 深夜の2時。
 グラスの中で氷がとける。
 やはり、氷は浮いている。
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