色彩の海 はばたく
 高周波が我々にはサウンドではないように、そして、その高い周波の一部を犬は音として聞いているのと同様に、 蝶々は、我々以上の色彩を見る眼を持っているそうである。
 そこいらの花やら背の低い樹木の廻りを舞っている、あの蝶がである。
 ちょっと悔しいけれど、拭えぬ事実として、我々には見えぬ色というのがこの世には存在するらしい。
 見えぬが、存在する色。
 見たいが感知できない色。
 蝶と私が仲良く並んで夕日を見ても、本質は同じながら、決定的に違う小景を蝶は見ているようなのである。
 誰もが知るトコロの色の三原則といったコトガラも、あくまで我らヒューマンの眼を通しての三原則であって、蝶に言わせると
「何をとろいコト言うてまんねん」
 てな具合なのであろう。
 私の肩を軽くポンポンと叩き、
「キミにはこの夕日の素晴らしい色調が解らんのだね、お可哀想に……」
 優しく同情してくれるやもしれない。
 おそらくは、蝶の言う通り、その色彩の豊穣は素晴らしいに違いない。
 16色カラーより4980色の方が鮮明で、4980色より3万2千色の方が明細で、3万2千色より16万overの方がより深いように、蝶の眼には、色相、明度、彩度の属性の幅がより深くより広くに映えているというコトなのであろう。
 地球には私達の眼に映らない色がさらにあるというコトである。
 あなたの視力が2.0であっても、まったく見えぬ色があるというコトである。
 短命な蝶なれど、私ども以上の色彩の豊かな大地を知っている点においては、小さなこの生き物は羨望せざるをえない存在である。
 地、海、空に一体どんな色が含まれているのか・・ 
 その絢爛、その華麗、その憂愁、その深淵。
 基本として文字は一切の事象を説明出来るような伝達方法だけれども、波長という語句はあれども見えぬ色そのものを表現するのは不能である。これだけはどうしようもない・・
 その色のコトを尋ねても残念ながら蝶は語らない。
 光の喜色、光の昂悦をただの一語も洩らすコトなく、まして何かに書き記すコトなく、数ヶ月で天寿を全うする。
 ちょっと前のコトになる。
 まだ夏の炎暑の気配がない頃。
 店の外に小さな鉢植えを置いていた。
 グレープフルーツを植えていたのである。
(より正しくは鉢植えを買ってきたのだが)
 日当たり良好。水捌け良好。
 葉が茂り、幹が太くなり、ウフフ、育ってチョ〜ライね、と北叟笑んでいたのだけれども、2日ほど放置した後、水をやろうとすると・・
 おやまぁ!
 濃緑の葉が食い荒らされているじゃないか。
 しゃがみ込んで仔細を観察すると、ぁあ、いるいる!!
 葉と同じ擬態色に全身を染めた小さなモスラ達・・
 2匹いた。
 喰いやがって、コンチクショ・・ 棒ではたき落とし足でプチリと踏んでやろうかいとも思ったけれど、けなげにモゴモゴ動いている様相を見ていると、ちょっと殺生はアカンなという気になった。
 あんまり気色のいいカタチではないけれど、こいつらがどんな蛾になるのかなという興味もあり、食われる
グレープフルーツは食われるままに放置するコトとした。
 確か、2週間ほど放置していた筈。
 さほど大きくもない
グレープフルーツはいっさいの葉を食われて哀れな全裸になり、か細い幹だけに成り下がったけれど、ある朝、その裸の鉢植えの周辺で2匹の蝶がヒラヒラとはばたいているのを見た。
 
アゲハ蝶だった。
 
2匹ともに5、6cmという大きさで、表側の羽根が黄味がかった緑色というか、緑色がかった黄色といった感じの色合いをなしている。その色の合間に多数の黒い斑点が墨を散らしたように配置されている。
 綺麗であるが、か細い気配も濃厚である。
 デジカメをその日に持っていなかったコトが悔やまれる。
 気色悪い容姿の小さな緑色のモスラがかくも綺麗なものに変容するのかと、ちょっとうたれるような、少年のような瑞々しい感触に浸った・・
 あの時、靴でプチリと踏んづけなくてよかったなと密かに思いつつ、一方では素っ裸になった
グレープフルーツを気の毒に思いもしたけれど、ま、いいか・・・ これしきのコトで樹木が枯れてしまうコトはあるまい。直きに新芽がふくさ・・ と思いなおした。
 一方の
アゲハ蝶は前記の通り、短命である。
 数週間か数ヶ月ほどしか寿命がない。
 新幹線で旅するコトも知らず、せいぜいが生まれた樹木の周辺数10mだか数百mの小さな世界しか知らずに生涯を終えるに違いない・・・・・・
 ただ、その僅かな生涯に、彼らや彼女らは、私らの見ぬ、私らの知らぬ色彩を味わい尽すのだ。
 その豊穣な色彩に満ちた小景を感知出来る蝶を、やはり、少しではあるが・・ 羨ましいと思うのだが、こちらの思惑をよそに2匹の
アゲハは、ヒ〜ラヒラと舞いつつ、道の向こう側へ、幼稚園の柵を越えて飛んでいった。
 
アゲハ兄弟の眼に、幼稚園の庭はどれほどの清廉な曼荼羅として映えているのだろうか。
 赤より赤いアカ。
 黄より黄いキ。
 青より青いアオ。
 コトバも感触も追っつかない色彩の豪奢の海・・・ それがむっちりと熟した豊満なのか、静謐に整いきった典麗なのか、めくらむような熟爛なのかは判らないけれど。
 ともあれ、2匹は旅立った。
 煌めく黄金郷に蜜多からん事を。


   
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夏が過ぎ、グレープフルーツはまた葉を茂らせている。
 
いつかの日に小さなモスラに食われたとは思えぬ健常ぶりである。
 
旅立った2匹のアゲハ蝶はもういない。
 
一瞬の視線を浴びたきりのアゲハではあるけれど、2匹は、高雅な永遠性のある美しいイメージとして飛翔した、ようである。
  彼らはたっぷりと蜜を吸い、舞い、遊び、カエデの葉の裏で休み、日々を喜色に染めてしっかりと、その生を満喫したろうか? 
 大いなる色彩に感嘆し、彼らなりの詩を編んだろうか?
 雨上がりの東方の空にかかる虹の、紫から赤へと変調する色彩のアーチに、フッと我れを忘れ、アソコへ行ってみようと思わなかったろうか?
 あの色を掴んでみようと思わなかったろうか?
 恐れながらも魅せられて。

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