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| 人が成長して、その都度の年齢に見合うカタチを見せるように、唄にもそれに似通うトコロがある。 曲があり、詩があり、それを誰かが歌う。 うまく歌うには年齢が必要だ、と思われる曲が幾つもある。 ある一定の年齢に達しないと、唄そのものの本来の滋味が出てこないという気配である。 樽に詰められ何年も寝かされたウイスキーが美味いと同じ、経年積年の堆積と沈殿が唄にも必要な時は、ある。 もちろん、ただ、歳をとっていれば歌えるというものでもない。 夥しい多数の無駄を含んだ経験から泌み出る、その、ほんの僅かな上澄みを糧にしているようなトコロが唄には、ある。 近年のエリック・クラプトンの名盤「ピルグリム」もそうだろう。 このアルバムにおいての彼は名うてのギタリストという以上にボーカリストとしての滋味が圧倒的に深い。 良い感じに苔むした古い井戸の、しかし、けっして枯れていず、深い、透明な、水がたたえられているような気配を、聴くたび、おぼえさせられる。 静かではあるが、衰退しているのではなく、尚持って刻々と良性の滋養に変じつつある気配である。 より男性的なボーカル、枯れた声音のボーカル・・ 幾つもあるけれど、年輪の魅力というのもまた、ある。 97年の武道館のコンサートと、99年のやはり同じ武道館での、彼のコンサートに出かけ、その感触をより確かなものとして感じ取った。 どうやら我々は一様に皆な、瓶詰めの酒のようである。 滋味深いものとなるか、すっぱいものになるかは、自身の有り様次第というコトになろうか。 いい感じに歳をとりたいもんだ。 昨夕のクラプトンのように。 |
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