息を吸って はく
 程度の比較的軽い傷をおい、さりとて、病院には行かねばナランというコトになって、数回、総合病院へ通ったけど、これはナカナカの難行であると察しがついた・・
 待合室で待たされる時間のながいコトながいコト。
 うっちゃりようもなくベンチに座り、ボーッとしている以外に手立てがないというのはとても宜しくない。
 この待機の長さに較べ、診察は圧倒的に短い。
「どうですかァ、ヤ〜マ本さん、まだ痛みますかァ?」
「はい、じゃァ、今日もシップを張り替えましょうねェ」
 これだけ。
 シップを替え、包帯を巻き治しても、四分とかからない。
 待つコト一時間に対して診療四分。
 その後、薬をもらうために、また待合室で六〜七分・・・・
 いささか顎が出る。
 明日もココに来なきゃイカンのかと思うと、ゾッとする。
 明日も、待合室に坐ってなきゃイケナイのかと思うと、溜息が出る。
 通院に慣れ親しんだ気配のオバサンが、マフラーだか靴下だかは知らないけれど、セッセと編み物をしていらっしゃる。
 待合室での長時間を既に生活の一部に取り込んでいらっしゃる。
 待合室にはテレビと、幾人もの人が捲りに捲ってくたびれきった雑誌がある。
 テレビはお馴染みのワイド画面のもので、横に広がった分、画面の中も横に歪み、アナウンサーも女優も誰それも皆、ふくれたような顔になっていて、正視にたえない。
 知友は、文庫本でも持って行けと忠告してくれる。
 覚悟が必要でっせ、とも申してくれる。

 なぜか病院の待合室というのは寒々しいイメージがある。
 治癒の期待よりは、空虚な荒涼が優っている・・
 暖房はモチロンきいているのだけれど、眼に映えるもの、耳に聞こえるもの、いずれもが、暖の気配がなく、寒色が優って、どこか、人の気力をそぐようなトコロがある。
 壁、天井、窓、照明、ソファ、花瓶、調度品の数々はアリキタリのどってコトのない諸々で、その一つ一つには概ね、寒いと思わさせられるトコロはないのだけど、待合室という枠の中の静物になった途端、貧寒がアチコチに潜んでいると感ぜられる。
 そう感ぜられるトコロに、実は我が内の健康が潜んでいるのではないかしらとも思いもするけれど・・ 待合室が日常の光景、日常の一部となった方には、おそらく、寒はおぼえられないであろうとも思われる。

 少年の頃(ついこの前や)、何かの童話で、ケガをしたクマが、森の洞窟の奥に寝そべっている挿絵を見て、少し羨ましいような思いになったコトがある。
 ワラが敷かれ、リンゴやバナナや魚が籠にもられていて、ランプに明りがともされ(なんせ童話であるから)、とても暖かそうであり、平穏で、満ちた気配があって、ぁあ、このクマのようにユックリ寝てられたらなぁ、とちょっと酔わされたけれど、実際の病院は、そんな空間ではないネ。

 そんな次第で待合室での茫洋とした時間をうっちゃるために、壁のポスターや貼り紙の文字を上から下へと読み拾ったり、あるいは、そのポスターに書かれた「呼吸器系の疾患」といった一語に触発されるまま、しょうもない妄想に耽ってみたりスル。

 息を吸う。
 息をはく。
 このどちらで寒さを感知するかというと、当然ながら、吸う方であろう・・
 息の白さに寒々となるのは、これは視覚の効果であって、息をはき出す時には、呼吸器としては寒さを感知していないようだよ。
 〜ってコトは、出来るだけ息を吸わなきゃいいワケだ・・ でも、そうもイカンなぁ。

 そんな思いつきをボーッと抱いていたりスル。
 病院に居ながら、心はそこにないという感じである。
 
 さて。
 今年一年。
 アレがありコレがあった。
 悲喜交々。
 昂揚あり悲嘆あり激昂あり・・
 よい出会いがあり、どうしようもない別れがあった。
 病院に通わねばならない傷を受けたが、命はつないだ・・
 私はまた少し、硬いもの、柔らかなもの、辛きもの、甘きもの、を味わうコトとなる。
 喜怒哀楽を味わうコトとなる。
 諸君らも同じだ、ナ。
 また来年も、アレこれを見、これソレを聞き、泣いたり笑ったり怒ったりを、繰り広げるか・・
 心開いたり、閉じたり・・ また開いたり、閉じたり・・

 息を吸ってはく・・・・ 
 その夥しい一連の動作のあやどりとして、だから・・ 出来れば、より良きものを、私もあなたも。
 大いに、呼吸なさいな。
 来る年も。
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