闇の輝き
 某日某夜。
 人が寝静まった遅い時間に吉備高原へ出向いた。
 岡山県の中央に位置する高原である。 自宅から車で1時間強の距離にある。

 ここへ出向くには、うねり、直線になり、また、うねる、 延々と続く登り道を駆けねばならない。
 白昼にここを通ると、あたりは木々の梢に満ち満ちて緑一色に染まっているハズだが、夜間走ると、ただ暗いばかりで、まるで永遠に続くような、一種の袋小路めいた不安な気配が兆しあがる・・
 街の灯が見えない山間である。
 心細い山道である。
 くにゃくにゃと折れ曲がりつつひたすらに登る長い坂道をそうやって一人黙り込み、数十分と走っている内に、やがて、傾斜の感覚が薄れてくる。
 負荷のかかっていたエンジン音が軽やかになる。
 高原に登ったのだ。

 広い、なだらかな高地である。
 吉備高原都市化計画という、ある種のおろかしさを含んだ県の計画の元に整地された広い高原である。
 走ってきた道も、その一環でもって増設された県道である。

 人家もなければ街路燈もない辺りにまで車を進め、停止してエンジンを切った途端に、深閑が押し寄せて来る。
 ライトを消すと、闇が波の侵食のように覆い被さる。
 音がなく、カタチもない。
 手のひらを自分の眼の前にもって来てはじめて、その輪郭のみが判別出来る、そんな深い闇だ。
 自分が見えないという形容でない現実に身を置くことで、逆に自分を知らされるという気配である。
 ボクらはホタルのように自分を光らせるコトはできない。
 自分の手も足も見えない闇…… 
 闇の本当の暗さを知らない人が案外と多い。
 街路燈や街の灯りになれた眼には、ここ吉備高原の山中の闇は、文字通りの「闇」である。
 昔の人が闇に畏怖する感覚がまざまざと伝わってくる・・
 車から出て、恐る恐る数歩を歩き、乾いた草むらに寝っころがり、茫漠と上空を眺める。
 天空の、小さな、遠い、無数の、光点だけが眼に入る一切である。
 空気は冷たい。
 ベールとも皮膜ともつかぬ闇の気配にくるまれると、吸い込む空気の粒子までがどこか加圧されたような重厚な匂いをたてる。
 有無をいわさぬ 寂寞とした静けさに些細な鬱憤はかき消され、自分がか細く頼りない存在であるコトに気づかされる。
 巨大で強大なもの言わぬ自然の摂理の渦中にあって、小さな原子のような存在でしかない自分に気がつかされる。
 昂揚、昂悦、憤怒、悲嘆、狂騒…… 逆巻いていたハズの自分の内なる喜怒や哀楽の苛烈が遠退き、茫漠とした感触にとらわれる。
 煮えた湯が一気に冷めるような深閑とした静謐に、激昂も屈辱もが洗われて争いの気力が消失する。
 無価される、という語彙が自然に入ってくる。
 手探りで煙草を取りだし、一本をユックリ吸う。
 足元の冷気のようにジンワリと奇妙な感触がにじり寄って来る。
「一人だ!」という感覚である。
 苛むような圧倒的な孤独感である。
 闇そのものが閉所として意識されるようでもある。
 不安な、焦燥にも似たいたたまれなさが生じ、無性に人に会いたくもなる。

 上空にある幾多の星だけが、標(しるべ)である。
 その光点を眺めていると、もどかしくもなる。
 地上にこうして張りついて生息せざるをえない、それは哀しみのような感覚だ。
 たぶん、そんなもどかしさを覚えた者達が、車輪を生み、翼を生み、火薬を生んだのだろう。ロケットで引力の手綱を立ちきって外へ出ようともがいているのだろう。
 そして無論に、この鬱屈を余儀なくされるような闇から逃れるために、人はライトを手にしているワケだ。
 ライターの火が、これほどに明るく、これほどにありがたいと思うコトはめったにない。

 時に、そんな深い闇に身を置くのは、いいことだ。
 闇はただ暗いのではない。
 鏡の輝きを闇は秘めている。
 ボクらは己れを知らなくちゃいけない。
 小さく卑小だというコトを知らなくちゃいけない。
 畏怖を知らなくちゃいけない。
 日々の内に知らず発生した冗長や冗漫、増長の戒めとも、これはなろう・・
 具眼を、少し、取り戻すがために 、時にこうして、一人、闇に身を置く。
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