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| 近ごろ、毎週金曜、帰宅時に近所のスーパーへ行くを習慣としている。 お肉を買う。 牛肉。ステーキ用のヤツ。 出来るだけデカイ。 出来るだけヤスイ。 この2つを指針に一品を求めて肉売り場で吟味し、スタコラと帰宅する。 輸入肉。 470〜600グラムほどの割とデカイものが480〜600円くらいで手に入る。さほど良質ではないけれど、ずいぶんと安くなったもんだ。グラム1円くらいの換算。 無論、この場合、品質・価格とも上には上が幾らでもある。あるけれど、そういうモノは見て見ぬフリをして、ともあれ、ひたすら、デカイ、ヤスイの一品チョイスで帰宅する。 いっとき、金曜だか土曜の真夜中にインスタントなラーメンを喰っちゃうというのがマイ・ブームとしてあったのだけど、2001年になって、これの軌道を少し変えてみた。 デカイ、ヤスイの肉塊を喰う、というに変えてみた。 発端は単純である。 正月にDVD機を買い、これで「マトリックス」だの「ツイスター」だの「ポルターガイスト」(ぁ、コレはVTRだ)だのを見ている内に、なんせ画質が良いワケだから肉の質感もよく画面に出、途端、ムクムク、肉への欲望が沸き上がってしまった。おさえがたい衝動と化した・・ という次第。 「マトリックス」の場合、裏切り者のサイファーが超がつくような分厚い肉を頬張るシーンがある。主人公らがまずそうなカユをすすっているのと対比的に描かれたそのシーンの肉は、みるからに柔らかで、旨そうで、実際、我が知人は、この映画を劇場で身終えた後に衝動として肉を食いに行ったという逸話がある。誰とはいわん。 「ツイスター」では、小ぶりなフライパンの中、焼けた肉の横でメダマ焼きが作られる。肉もうまそうだし、添えられたメダマもさぞやウマイと思わさせられる。肉は皿から推量しておよそ500グラムくらいかしら・・ 濃厚なムッチリした肉汁がたっぷり詰まってるようで、このシーンにだけ、ちょっとゲストとして出演しちゃいたいとすら思っちゃう。セリフもいらん、フイルムに映らなくてもイイ、ただ、そのお肉だけを・・ 食べちゃいたい。 「ポルターガイスト」での肉はやや趣きが異る。夜中に、怪異現象の調査員が冷蔵庫を開けて肉を取りだし、これを焼こうとするも・・ という、ちょっと肉を喰っちゃう気力がそがれる描写となる。 されど、夜中に肉を、それも分厚いのを一枚マルマル焼いちゃうという感触は、なかなか良いものとして我が眼には映えた次第で、ちょっと真似てみたくなった。 「マトリックス」がごとく厚く、「ポルターガイスト」がごとく夜中に、というのが真似ッコの基礎である。この基礎にヤスイ品という柱を建てた。 牛肉、というのは、それ自体が目的の場合、調理としてはなるべく単純にというのが基本ではないかという気分がある。 塩・胡椒のみ、あるいは塩のみで焼く・・ 焼肉のタレとか何とかソースとか、一切不用。ただ肉がある、を至上とし、ただ、焼く・・ モノの本によれば、このようなビーフイーターの最上は、じっくり、炭であぶるのを基本としているようだけど、炭もなく、じっくりの時間も面倒ゆえ、フライパンで焼く。 岩塩がよろしいらしいけど、無論、それもないゆえ、そこいらの普通の塩をまぶし、焼く。赤穂の塩でも山口の塩でも沖縄の塩でも、なんでもよい。 塩。 少し胡椒。 ワインを注ぐ、など、しない。 ただ、ジュージュー、肉汁が流れるにまかせ、焼く。 サントリーの名句はここでも生きる。 何も足さない、何も引かない。 夜中の寒いお台所に立ち、足先が冷たいなぁ、などと思いつつも、数分語には満喫する食の好感に期待をつなぎ、肉の香ばしい匂いを味わいながら、ただ焼き上げる。 焼き上がるやや前にオーブンでトーストを一枚作っておく。 トースト1枚、肉1枚・・ これのみ。 これにビール。 この3品。 食っちゃう手順はラーメンの時と同じ。 一本、ビデオで映画を観ながら、食う。 ラーメンの時に同じく、チープに、かつ、即物的にを標榜とする。 この辺りの詳細はコッチを読まれたし。後で。 なにしろヤスイ肉なのである。どうエエカッコしても松坂の豪奢を堪能という次第ではない。60年代か70年代の米国の田舎の幹線道路沿いのドライブインで食するような、デカイ、ヤスイ、でも腹イッパイ、の感覚である。もちろん、その場合、ポテトが肉に添えられていようけど、我が輩の場合、それもナシ。 日本人のビフテキの一回の摂取は平均350グラムだそうである。対してアルゼンチン辺りでは700グラムだそうである。 倍は食ってるな。なぜ、そのように喰えるのか・・ と思っちゃう。金曜夜中で最大は今のトコロ、582グラムである。これで満腹。キツイ・・ 体躯の相違によるものかしら。いや、そうではあるまい。 さて。 このグラム1円換算なチープな牛肉だが、極端に筋っぽい、しわい、噛めない、などというコトはほとんどない。ほとんどないけれど、完無であろうハズもなく、やはり、部分で、屈強な筋が抵抗し、部分で、いつまで噛んでも噛みきれない起伏があるにはある。やはりヤスモノはヤスモノである。見栄えもよろしくない。 されど、肉は肉だ。 松坂の溶ける柔らかもなく、シュラスコの深い芳潤もないけれど、ビーフに変わりはない。 本質は同じである。 だからナイフとフォークに心が踊る。 皿いっぱいのデカさに眼が満足し、厚い肉層を噛めば、厚さに応じる肉汁があふれ舌が昂奮する。口内が喜色の声をあげる。 歯ごたえ、噛みごたえ、のみごたえ、ステーキを頬張るという行為にまつわる得心がフツフツ沸き上がる。顔が弛緩する。 ただ、ここで書いておかねばならんけど、ステーキはひたすらステーキであって、ラーメンのように、麺、具、汁、といった層の違いがない。どの局面も同じである。 最初の一切れを口にした途端から、ある水準の滋味が広がり、以後、この滋味は登らず、されど、下がらず、同じ水位でもって最後まで従者のように付き従う、という特性がある。いきなりクライマックスがあり、それがそのまま最後まできちゃうという感じである。起伏なし、寄り道なし、の一本道である。 ラーメンの場合なら、例えば水面の波紋のように味を多面でもって賞味できるけど、ステーキはそうでナイ。最初の一波の、その波の頂点にのっかって突き進むという感触である。 ここを押さえてステーキと向わねばイカン。 デカイゆえの醍醐味がこれに加味される。ラーメンには挑戦という気配はなしだけどステーキには一種のチャレンジャーな感触がある。皿からはみ出るホドのデカサを前にソレを全部喰ったるぞ、という欲がでる。 だから、この場合、チビチビやる、上品にやる、といった趣きは御法度だ。 大陸的豪快さでもって、肉と向わねばならない。 脂肪分ゆえ冷める前に平らげないとイカン。 肉の繊細な滋味を感受しつつも ひたすらに征服していくような放埓と果敢とが必需である。 だから・・ 質より量を重視なステーキの場合、これは喰うというより、乗るのだ。 乗りこなすのだ。 アルゼンチンの方々の摂取量の膨大は、この辺りに起因するのではなかろうか。 彼ら彼女らは、きっと、うまく乗れるのだ。 マ、そのようにタワケを浮かせ・・ これなるは我が貧しさか、あるいはこれをぞ肉欲か・・ などと当方、心の内にてカラカラ笑っているのである。 一人で。 金曜の深夜2時に。 |
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