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このページをのぞきに来てくれる多くの方々にとって「アポロ13号」はトム・ハンクスの映画というコトになるのだろうけど、私の場合は、「アポロ13号」は高校生の時の現実の事件であるから、自慢ではないけれど、受け入れた質と量が諸君とはいささか違うのである。
13号も、それ以前の12号、11号、10号・・ いずれも、打ち上げから帰還まで、ちょっとワクワクしつつテレビやら新聞を眺めては動向を気にしていたもんだ。
高校生の私が「宇宙少年」だったかというと、コレはちっともそうではなくて、放課後はひたすら部活で汗する体育系スポーツ少年であって、例えば、天文部とか英語部とかいった文化系の連中をかなり相当にバッカにしていたと記憶するが、アポロ・シリーズに関しては、体育系も文科系も関係なく、ただ、そのコトを口にはしないだけで、興味の射程範囲の中にある大きなニュースのうちの一つであった。
夏休みの7月の某日。部活に出てきた僅かな連中が校内にいるきりのガランとした学校の午前中。
狭い職員の休憩室に先生も我ら部活生徒もが、半ばの自然として集い、白黒のテレビを食い入るように眺めたコトを思いだす。
アポロ11号の最初の月面着陸。
その実況である。
(この真昼の実況の視聴率は確か95%をこえていた筈だ)
実況される月面からの映像はやや見にくくはあったけれど、人がお月様に到達し、いよいよ、そこを歩くのだという、歴史的な一瞬に高校生の自分は遭遇しているのだという感動だけは、ヒッシヒッシと迫り寄って来るのであった。
夏で、狭い部屋に、20人もの人が詰めているから、暑いの何の・・
サッカー部の連中と私の部の連中と、それから囲碁部の連中が、いたようであるな・・
先生も5人だか、6人。
夏休みのこの日に登校してきている全教員だと記憶する。
いずれの顔にも昂奮があり、昂揚があり、昂ぶりが部屋をいっそう暑くしていたとも記憶する。
アームストロング氏が最初にゆっくりと降り立ち、
「この小さな一歩は小さいが人類にとっては大きな一歩だ」
というあの有名なセリフを吐いた数分後、居合わせた先生の一人が、ウチワでパタパタ顔を扇ぎつつ、
「オルドリンはまだ降りどりん?」
気が遠くなるようなダサイお言葉を吐いた。
感動と暑熱のさなか、苦笑めいた哄笑があがり、部屋はいっそう煮えた。
それから、陽が登り陽が沈みが繰り返され、30年の歳月が経過した。
私は少年からオッチャンに変身し、当時は確かにあったハズの牛若丸のような清廉な美少年っぷりは見る影もない。
誉れは遠い過去となった。
その美少年でありスポーツ少年であった頃の残滓として、今も残るのが、先に書いたアームストロング船長のセリフである。
あるいは、先生のセリフである。
対等な背丈の、二対の、双子の、耳に残る記憶として、この2つは高々と佇立して今に、至る。
何も削らず何も盛らないけれど、歳月がこの2つのセリフを磨き、毎年更新され、我が脳裏にあっては今や確固とした気配でもって不動の座をしめる。私というパーソナルな屋根を保持している複数の柱の内の2本である。多少に黄ばんだ気配はあるけれど象牙の硬質を持つ柱である。
当時の宇宙飛行士の名を私は諳んじることも出来る。
マイク・コリンズ。
バズ・オルドリン。
ニール・アームストロング。
「宇宙フアン」な少年ではなかったけれど、あの当時の、アメリカのアポロ計画には、夢を托せるようなトコロが大いにあり、遠い憧れの一つとして宇宙飛行士はあったようである。
連日、朝刊に載る彼らの名前を覚えていても不思議ではない。
アームストロング船長の顔がイルカが笑っているような印象もあって、一度そのような眼で見ちゃうと、船長はいつまでもイルカのまま私の頭の中に居座る。
月には降りられなかったコリンズ氏(アポロ司令船船長)の顔はタヌキのようでもあり、オルドリン氏に関してはオッサンめいた顔してるなぁ、という感想が強くあったけれど、今、顧みれば、あの時、彼は39歳。今の私より若いのだ。
とはいえ、オッサンのような印象というのはこの人の評価を不当に低めてもいた、ようである・・
コリンズ氏は司令船のパイロットゆえ月面には降下出来ないにしろ、オルドリン氏はアームストロング氏と共に月面に降り立った最初の人間である。低く評価される筋合は皆目なのだけれども、キャラクター的魅力という点においては、アームストロング氏には劣っているようであった。
たえずアームストロング氏の影にいるようで気配が妙に薄かった。あの当時の世間も一般的にはアームストロング氏にスポットが浴びせられ、オルドリン氏の影はまことに薄い。
「ぁ、一緒に行った人でしょ」
って、感じであった。
当時、ネクラという造語はまだなかったけれど、一つの例えとして言うなら、アームストロング氏の陽性に比較してオルドリン氏はどこか陰性めいた気配を持った人、というコトではなかろうか。性質として脚光を浴びにくい、おとなしくて目立たないタイプの人であったようである。
ただ、外見からくるイメージというのはほんの表層に過ぎず、事実、オルドリン氏は相当な優れものである。博士号を持つエンジニアであり、知力、体力共にアームストロング氏を上廻る人物であったようである。
11号ミッションにおいては自分が船長に任命され、当然に、月への第1歩をも自身の足でという風に思っていたようである。
ところがNASAの決定はアームストロング氏に軍配が上がる・・・・ キャラクターの配置には熟慮があったと思われる。NASAの目論みはムロン成功した。
いささか面白くないのは、オルドリン氏である。
帰還後の注目はおのずとアーやんばかりというコトになる。
新聞社のカメラマンはアー公ばかりにフラッシュをたく・・
求められるコメントはアー坊の1/3にも満たない。
強い自負は徐々に後退を余儀なくされ、悔しさが顔を出す。
それを紛らわそうと、オルドリン氏は酒を飲む。
帰還後、NASAの命により三飛行士は世界中を廻る。
月に行った男はどこの国でも当然ながらモテはやされる。
そして、スポットを一身に浴びるのは、やっぱり、アーちゃんである。
そこでオルドリン氏は酒をまた飲むというコトにあいなる。
No1を自負する男がNo2に甘んじなければならない苦痛は、けれど、アルコールの酔いで解消されるはずもない・・
アルコールが持ち前の気鬱な性格を引きだし、オルドリン氏はすっかりダメになっていく。
11号の熱狂が引いた数年後の、外電のニュースで、小さく書かれていたのは、オルドリン氏が精神科に収容されて治療を受けているというものであった。
11号の30周年記念のこの夏、米国では幾つもの記念のイベントが催されたようである。
トム・ハンクスが製作・監督を務めたTVドラマ「人類、月に立つ」が放映され、NASAにおいては、記念日にスペースシャトルを打ち上げた(エンジン不調で一日ズレたけど)し、本人らが久しぶりに会見の場に登場もした。
70歳にすぐ手が届く年齢となったオルドリン氏とアームストロング氏ではあるけれど、不思議な程に歳月の経過を感じさせなかった。
ほぼ30年ぶりに見るお二人というコトのはずなのに、彼らの月への旅とそれをテレビで見ていた私どもがつい昨日のコトのように想起されるばかりで、旅の後の会見のような錯覚はあっても、懐かしさめいた感傷は微塵も兆してこなかった。
一本のロープの端と端を合わせ持ったがために、30年分のロープの長さは喪失したような触感であった。
なによりも、悠々とした姿勢と微笑みでもって記者の質問に応えているオルドリン氏がいるコトが嬉しい。
精神的な危機は既に遠い過日に克服したらしき穏やかさが身辺にあり、笑顔には何物かを成し得た男のユトリのおおらかさが滲んでいた。
30年ぶりにテレビで再見した「月に降り立った最初の二人」は、私にとってやはり、色褪せない変わらぬヒーローであった。
言うまでもないコトだけれど、このヒーローの背景には米国の威信をかけた数万人のエキスパート(最盛期には40万人いたそうだ)とそれを保持するだけの税の分担があった。
マーキュリー計画、ジェミニ計画はアポロ計画のための第1、第2の段階である。アポロ1号の不幸な事故を経て、7号、8号、9号、10号・・ 段階をキチリと踏んで登り詰めていったクライマックスに11号は位置した・・・
アームストロング、コリンズ、オルドリンの3人は巨大で壮大で強大な意志の、いわば絢爛としたキャンバスにおける署名の部分にいた。
このキャンバスが描かれつつある時期、米国は黒人差別とベトナム戦のドロ沼という疼きやまぬ歯痛にのたうち、大きな星のような存在であったキング牧師とR・ケネディが下劣な暗殺という方法で亡きものにされる。
明日の見えぬ絶望は学生運動に火をつけ、平和への希求と索漠とが拮抗して、地上のアチコチは、油をしいたフライパンに水を落としたかのような騒々しい反撥とせめぎ合いの擾乱に猛っていた。
ソ連との競走とか国軍の威信といった部分はここではあえて触れずに短絡に言えば、そんな状況下で・・ 暗澹な気配ある日常から遊離するかのように、NASAは輝ける夢を月めがけて射出した・・
"現実を見て疑問を投げかけるより夢をみて実現を試みたい"
ロバート氏が大統領の兄への弔辞で引用したJ.F.ケネディの言葉の通りに。
1969年7月20日。
月着陸がなされた日、地球は極めて静かであった。
クスノキにとまったセミは相変わらずけたたましい声で夏を謳歌していたけれど、地表の誰もがテレビの画像に視線を向け、あるいはラジオのスピーカーに耳をそばだてていた。 戦火はあがらず、争いの声は数時間ではあったけれども途絶えた。
ハノイ近郊の竹ヤブの中で22歳の米兵は銃を抱えたまま、ボリュームを気にしつつもトランジスターラジオを聞いていたし、日本の17歳の高校生は学校の職員休憩室で汗にまみれつつ、テレビを眺めていた・・
私の若い友人はこの日に生まれている。
彼の父はその日を心に刻みつつ我が子に何事かを托し、"宙司"という名を授けた。
宙司と書いて、ヒロシと読む。
アポロ17号でもってアポロ計画は終了し、以降、月面には誰も降り立っていない。
13号が成功していればもう2人追加しなければならないけれど、40万Km彼方の月の大地を歩いたのは僅かに12人の男だけである。
その事実だけが、逆に、遠い昔のコトのように思える。
陰影のハッキリしたイメージとして一連の月着陸はあれども、例えばメリエスの作った「月世界の女」のカタカタとした白黒のフイルムを見るのと同じような、懐かしげな古さもが感じられる。 去り遠退いていくような乾燥して埃っぽい感慨がある。
歴史の遠大なヒダの中の一つのコマとして「アポロ計画」も飲み込まれつつあるのだろうか・・
エジソンやガンジーやナポレオンや織田信長や法然や第一次大戦やワーテルローを教室で学ぶのと同列な、一本のエプロンに綴り込まれるような位置に、組まれつつあるのだろうか。
我がヒーローをも含めて。
そのオルドリン氏のフィギュアが発売されちゃった・・
アームストロング氏でなくオルドリン氏だというのが可笑しいけれど、私は躊躇するコトなく、トイザラスにて・・ ポッケから財布を取りだした。
時間は足されるコトも引かれるコトもなく、一方にのみ流れる。ユックリ、確実に。
月着陸から30年・・
先に紹介した宙司君は・・ 数カ月前に父親になった。
40歳を越えると、20代でも30代でも知覚出来なかった新規な感覚が生じてくる。
時代がめぐっていく感触が薄い皮膜に触れるようにホンノリと判ってくる・・
無風なのに一枚の紙片がフッと浮いてテーブルを滑るような、背景となるべき気配が感知されないままに、しかし、推移の感触だけは手触りできるという、妙な按配の情感である。
ワーイ新しい感覚に目覚めたジョ〜 …… などと手放しでは喜べない知覚である。
若い人にはおそらくこの感覚は伝わらない。
寂しいような、しかし濡れていず、乾いた砂粒のような、ちょっと不思議な、諦めと希望とがないまぜになったような、否応もない・・ 時間と自分との合間だけに生じる感覚である。
賢者言うトコロのこれが「知の哀しみ」というものか?
生ある限り、あなたにも40-overの数値は確実に去来する。
その時、きっと、直感としてこれは触覚できるとは思う。
だから、羨ましがらないで(^0^)
18歳の8月が特権であるように、44歳の9月もまた特権である。
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