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ボクは一つコトに熱中するや、どうも、それのみに固執してしまうタイプのようで、音楽を聞くにしろ、いざ気にいると、いつまでも、繰り返し、エンエン、同じモノばっかりを聞きたがるというクセがある。 風邪の熱みたいに、うかれ、さめるまでは飽きるコトをしらない。 傍から見ると、同じ1曲をエンエンと聞くというのは、いかにもみっともなく、昔の例えがごとく「馬鹿の一つおぼえ」ってな気配もあって、カッコ悪い行為の代名詞ともいえるのだけれども、そんな習癖なんだからこれは・・ 仕方ない。 森山良子さんの「さとうきび畑」が良いのである。 "ざわわざわわざわわ" という静かなフレーズを知ってるでしょ、アレです。 半年前だかにNHKの「みんなの唄」で聴くともなく耳にいれ、以来、どうとはなし、そのフレーズは、かなり深いトコロで沈潜しつつも脈々とボクの体内に流れていたようにも思えるのだけど、最近になり、誰かが「さとうきび畑」を持ち出して、アレは良いというようなコトをいい、その同時期に、別な方が、ソレは良いといいだして・・ 火がついた。 この唄は作られて、もう古い。 森山さんが最初に録音したのは1969年というから、かれこれ33年が経つ。 以来、彼女はこの歌を重要なレパートリーとして唄い続けていたようである。 で、最近、CDシングルで"完全版"が出た。 10分を越える大曲。 静かに、朗々滔々と歌い上げられる。 本質のトコロは沖縄に材ある反戦歌だけれども、繰り返し繰り返し、エンエンと"ざわわざわわざわわ"を聴いてる内、戦争と、その災禍を越えたトコロでの不動なモノといった感触をおぼえもさせられる。 人の悲憤を越え、昨日も今日も明日もさとうきび畑は風に揺れて、ざわわざわわ・・ 一種無情、一種達観、自然の営みめいた大きさを垣間見るような気がおきて、歌詞はムロンそんなコトは詩ってはいないのだけれども、ボクにはそのように聞こえも、する。 沖縄のあの災禍がゆえに出来上がった曲と詞であるコトは承知ながらも、根のある強さをボクはおぼえさせられる。 悲痛が唄われながら、悲痛をこえた不変なものを背景におぼえさせられる。 10分を越える大曲でありつつ、曲は山もなければ谷もない。 いっそ平坦で終始のくぎりがない。 その平坦さに、さとうきび畑の広がりが想起されだすや、本当に、"ざわわざわわざわわ"と風がふく・・。 穂や葉が揺れる気配を感じる。 さとうきびの、はった根の強さを感じる。 その風のざわめきの前を横切っていく人を、知覚する。 さとうきびの草原を海に例えるなら、その海原を行く一艘の舟が、この詩と曲と彼女の声だ。 詩は沖縄の戦禍と生じた悲劇を編んで、ほころびない。 硬質だが柔らかで、柔らかでありながら澄明にすんでいる。 その舟の背後に、より大きな舟がひかれているとボクは想像する。 森山良子さんの声の背部で、より大きな、浮沈の、悠々、堂々とした舟が草原をすべっていく気配をおぼえる。 櫓の音も、人の影もないけれど、悠然たる大きな存在としての舟を感知する。 "ざわわざわわざわわ" さとうきび畑の風の音のみが永劫を伴って奏でられている、大地としての舟だ。 戦争への憎悪も平和への祈願も、その舟は人の喜怒や哀楽と関係なく、ただ、夏の陽射しを浴びて悠々と進むよう・・。 いい唄と、ボクは思う。 |
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