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ほぼ原作のイメージのノーチラス 製作・写真提供:Jean-Marc Deschamps
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ここ最近、密かなるマイブームとしてジュール・ヴェルヌを読んでいる。 ヴェルヌといえば、少なくともボクの世代では小学生の頃に必ず通過したであろう、いわば必読の人であったから、何らかのカタチで「十五少年漂流記」や「海底二万里」や「月世界旅行」などなどを摂取したとは思うのだが、多少に大人になってからは還りみず、幼い頃に読んだとおぼしき記憶の中にヴェルヌを留め置いているに過ぎずで、こうして読み返してみると、記憶が随分と違っているコトに気づかさせられも、する。 例えば「海底二万里」のラストで、ノーチラスが大掛かりな爆発に巻き込まれて沈船するとボクは記憶していたのだけど、そうじゃない。それはディズニー映画のラストであって、どこかで記憶が混同して今に至った気配が濃厚である。 ノーチラスと主人公らが乗る米国艦船エイブラハム・リンカーンの遭遇が日本のすぐそばであったコトなど、忘れているという以前に、今回、ほぼ初めて、読んで知らされた。 あるいは「月世界旅行」において、あの砲弾形の乗り物で月へ、そして帰還と、後のアポロ計画さながらの冒険譚が語られていたと思いきや、「月世界旅行」では搭乗者搭載のこの砲弾は月の引力にとらわれた、いわば月の衛星と化すという次第で物語が終わるという意外な結末に唖然とさせられたりもする。帰還は、本作の続編たる「月世界探検」での話で、ここでもまたボクは混同をしでかしていた・・。 だから読み進むうち、過去に体内に刻んだと思い込んでいたモロモロが失せ、曖昧になり、鋭意さが溶けて、初めて接するに等しい鮮烈をおぼえる。 知り過ぎていると思い込んでいた何物かを、実はさほどには知らなかったというこれは事例みたいなもんだ。 意外や、ヴェルヌの全集というのは、今、この国においては販売されておらず、幾つかの断片としての作品を読めるにとどまっているというのが如何にも口惜しいのだけど、それでも、偕成社からは「海底二万里」や「二年間の休暇」が完訳で出ている。いうまでもあるまいが「二年間の休暇」は「十五少年漂流記」のこと。 偕成社版の「海底二万里」は当時のオリジナルの挿画がふんだんに使われてもいて、嬉しい。 文庫というサイズがいささか惜しいけど、ちくま文庫からは詳細な注釈がふんだんに添付された「詳注版月世界旅行」がでている。 上記の「月世界探検」は、現状、何とも哀しいかな出版されてもおらず、入手不可である。 さて、ともあれ、そうやってヴェルヌを読んでると、ちょっと映画もみたくなる・・ むろん、ヴェルヌ原作の映画だ。 そこで土曜の昼下がり、自室の棚からビデオテープを捜し出し、二日酔いぎみな身体を椅子に投げ出して、注視するでもなく"ながら"でもなく、TV画面を眺めてみる。 「海底二万マイル」と「地底探検」。 いずれも観るのは久しぶり。 懐かしい感触がお腹の辺りからフツフツと沸いてくるやもとの期待を含め、自分の中にどういった反応が生じるかというのもお楽しみダ。 ジェームス・メイスンはディズニーの「海底2万マイル」のネモ船長を演じ、ついで2年後、20世紀FOXの「地底探検」でオリバー・リンデンブルック教授を演じて、奇しくもヴェルヌ映画の"顔"の感が、チラリとある。 笑みのない思い詰めたネモの演技も秀逸だし、プロフェッサー・オリバーの真摯がゆえにのユーモアさも好感で、この二作だけで、メイスンが硬軟縦横に演じるコトが出来る名優という次第が判るのではあるけれど、作品としての2つを比較すると、「海底2万マイル」は失敗作だとボクには思える。 メイスンのネモやネット・ランドを演じたカーク・ダグラスはこの上もなく秀逸で永遠性のある名演でありながら、いかんせん、脚本が宜しくない。どう宜しくないかというと、"絶妙"に宜しくない。素敵に良い前半の速度が後半に失踪し、あげくにネモが死んでノーチラスが沈没するに至っては・・ ガッカリという以前に幻滅を味わいしらされる。 この後半(というかラストの顛末)をディズニー的に変更したコトが失敗の一切だったと考える。 せめて、基地はともかくノーチラスとネモの生死が原作がごとく不明のまま映画を終えるコトは出来なかったのかしらと、残念な気分になる。そうであってはじめて、ネモという人物の輪郭と規模がより大きな余韻として完結すると思われるのだが。 それでいて尚、このディズニー作品が輝くのは、やはり、ネモ船長をメイスンが演じたコトが大きく、あの陰鬱と苦悩を表現として演じたJ・メイスンはより大きく称賛されてよいと、今回久しぶりにビデオを眺めてボクは考える。 余談ぎみに書くと、ノーチラスに幽閉された教授と行動を共するコンセイユを演じたピーター・ローレは素晴らしくイイ。岩がごとくなネモの甲殻に比してその弱々しい人の素性を垣間見せるという点において比類なき名演である。 もう一点の得点は、云うまでもなくノーチラス号のあのカタチである。 あのカタチをビジュアルとして見せた点は大きく、実際、あのカタチは、もはやこれ以外にないと思えるホドにデザインとして秀逸で、常ならぬ郷愁を誘いつつも確かにこうであろうなと思わさせられる確固な気配が縦横に滲んでいて、ただただ、お見事という意外に称賛の言葉がない。 わけても丸窓のあるリビングルーム(サロンか)のインテリアは、ホホ〜ッと溜息がこぼれるくらいに、それが潜水艦内の居室がゆえに余計に豪奢な鮮明が際立つ。 フランスのアミアンにある《ジュール・ヴェルヌ資料センター》には、当時健在であったディズニー自身の寄贈によるらしき、内装までが再現された縮尺模型があるらしい。 ジッポーのそれがライターの代名詞であるなら、ディズニー版ノーチラスはノーチラスの代名詞としての栄誉を今後も担い続けるには違いない。 だからこそ、名優が揃い、舞台もキチリと出来ているに関らず、要たる脚本がそのラストの部分において躓いた一点が惜しまれるのだ。善と悪の二極化においては悪は滅ばねばならない性質を持っているとしても、この一点においては原作が映画を凌駕して予見的でさえある。1870年において既にヴェルヌは善と悪の領域が曖昧である事を本作で暗に指摘し、いっそ悪とは何かと新たな提起をおこなっている節がある。そういった領域を当時の"健全"なディズニー映画においてはスクリーン構成が至難であったろうとも判るけど・・ 選択された脚本の顛末部は、いささか頼りない。 対し、「地底探検」は構えがユッタリしていて、今の眼で見るならもう少し速度があってもよいけれど総じて一定の疾走感があり、随所のユーモアも活き活きとしていて、膿むトコロがない。ハッピーエンドの結末もよく、後味がスッキリしているから清涼でもある。 ここでのメイスンは「海底2万マイル」のネモ船長の暗鬱とは一転、どこかトボけた匂いを嗅ぐわせるオリバー教授をノビノビと演じきっていて好ましく、だから、この二作を同時期に観ると、カードの表裏を眺めちゃったような嬉しい妙な気分にも、なる。 ともあれ、この夏は、苛烈の大河を泳いだようなトコロがあるボクなので、その沈静がためにも、ここは一つ、落ち着いて、本の中に逃げ込もうと・・ そう思ってる。そこで選らんだのがジュール・ヴェルヌという次第。 |
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