サマ〜エンド


 夏が、終わった。
 この夏は賑やかにアレコレあって、多感な中年としてはまっこと感慨深いモノが多かりきで、だから余計、少年の頃に感じた夏休み終了間際の、あの何とも云いがたい辛さにも似た感触がまざまざ蘇り、嗚呼、サマ〜エンドなのね・・ まだまだ遊びたいのに陽がかげったからもうどうしようもないという寂寥のやるせなさを味わいしらされるのであった。
 充実と充足とが波頭のようにキラキラ輝く夏だったから、余計、祭の後の寂しさを感じもする次第なのだけど、追想にひたる事も出来ぬまま、けれど、もう次に進んでいかなくちゃいけない。
 夏休みの日記や宿題からは解放されているとはいえ、夏が苛烈であったがゆえに、消失の思いが濃い。
 消えうせた次第ではないのだけれど、寂寞な気分が濃い。

 むろん、迎える秋には、それはそれでまたアレコレがあろうから、知らず問わずには季節の渦中でハシャいでる自分があるとは判っているけれど、夏の合間の自分が躁鬱の躁状態だったとしたら、今、明らかにボクは鬱的な範疇にいると思われる。
 が、だからといって自室に閉じこもってジッとしていられるかというと、そうでない。
 近来のボクには、外に向けての遠心力がたえず働いているようで、それがスポーツにうち込むとか夢中になっているという按配ではなくって、ただただ、外に居たいんだよな気分が強く、これに名を与えるなら、
アウトドア嗜好症、とでも呼ぶべき代物になろうけど、日差しを浴びて汗をかくのは、好きである。
 日差しにジワジワと肌が焼ける感触が好きである。
 太陽はあれほど遠い位置にあるのに、皮膚が熱をハッキリ感知出来るホドなのだから、その光量、熱量、大きさ・・ とんでもなくデッカイな太陽は・・ まるで子供のように、嬉々、そう思う。
 夏の、海辺で、日光浴をするという行為は、だから、太陽系に属してる"喜び"を顕す行為なんだなと、がらにもなく哲学する。
 より永く、遠大な眼で眺めるに、太陽とても枯渇し、末期には膨れ上がって地球を焼き、のみ、終焉するであろうコトは既に自明ながら、幸いかな、今はまだソレにはるかに遠い。

 この夏もまたよく自転車に乗った。
 ボクが外へ出るという行為の大半は、自転車に乗ってどこかへ行くを意味する。
 遠距離ではない。
 半日を外で過して帰るに足る距離でしかない。
 いまだ残滓のように、いわゆるPTSD(バイク事故による)があって路上を怖がる傾向が高いから、自ず、これは安全と思われる道をチョイスという次第なのだけど・・ 悲しいホドにそんな道はない。皆無といってよいホドに道路事情は、悪い。
 いったい、どうやったらこんな悪路を作れるのだろうと訝しむ程に、道路は自転車向きでない。
 よくぞこれで事故が起きないもんだと訝しむ箇所の連続が、この国の道路だといってもいい。
 おざなりで、いいかげんで、心底から練って作った道など、我が周辺にない。
 細い道に白線がひかれ、その白線の際(きわ)を駆けていると、車は容赦なく、速度を落とす事なく横を駆け抜ける。
 触れられる程の僅かな間隙。一歩違えれば接触して、間違いなく自転車側は悲惨な事になる。
 時に、徐行なり停止する車もあるけれど、砂漠の中のアオシスに遭遇するくらいに、良質なドライバーというのは少ない。
 市内の主要幹線沿いの歩道は徐々に良き方向へと向かっている気配はあるけれど、それは極く僅かでしかなく、歩行者や自転車(ママチャリ系の)のマナーも悪い。
 マナー以前の問題として、自転車が左側を通行するという基礎さえ知らない人があまりに多いのに、驚きもする。
 無灯火があたりまえ・・。
 道路も悪く、ドライバーも悪く、まるで悪しきモノの巣窟めいた代名詞として"道"が使えそうな程に、ともかく、よろしくない。
 ただただ、駆けるに自衛せねばならない、この状況がはなはだ疎ましく厄介で腹立ちをおぼえるが、この"道"を回避も出来ぬ現実がある。
 それで煮えさせられたり冷却させられたり、する。
 自動車・バイク・自転車・歩行者・・・ この四者は道として分けてしかるべきであろうハズなのに。
 おそらく誰もがそうであろうと判っている筈なのに。
 少し鬱屈しつつ、そんなコトを考える。
 ともあれ・・ 我が02年の夏は終わった。
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