犬島・維新派公演

 犬島にはじめて行く。
 外周を歩き、クルリと廻っても20分とかからない、島に住まうは僅かに70名弱という小さな島。
  銅の精錬所があって、それが活動をやめて既に30余年。
 その廃屋・・ 廃屋というよりも遺跡めいた気配のある精錬所跡で劇団・維新派が公演をうった。
 タイトルは「カンカラ」。

 犬島に出向くには岡山港から25〜30分、予約の船に乗らねばならない・・。
 幸い、知人に船持つ人があったから、今回は別ルート、数名の知友らと島へのキャンプをかねて出かけるコトとあいなった。
 なにぶん個人の船ゆえ、自在に海を行ける。
 炎暑のさなか、舞台装置を、通常では見られない側からマの辺りにする。
 煉瓦の背丈の高い煙突が複数伸び、その合間に舞台のアングルが組まれて、幾つか、芝居用の"贋"の煙突も見える。
 そこにまっすぐ、ゆっくり、船を滑らせ近寄るのは、なんだか映画「地獄の黙示録」のあのカーツの王国にジワジワと近寄ったウィラード大尉のよう・・。
 実際、カタチから受ける印象は、まさに黙示録的な、一種の異様である。
 凄味、をおぼえる。
 あるいは、ディズニーランドのアトラクション装置、のようでもある。
 面白いフィールドをよくぞ選んだものだとつくづく感心させられる。
 岸壁の茶色と煉瓦煙突の茶色は風化の侵食で茶というより黒にも見える。
 その煙突の屹立と屹立の狭間に複雑に組まれた鉄パイプの芝居装置が、これもまた逆光ぎみに陽を反射させ、妖しいシルエットをなして光景に溶けている。
 いっさいが溶けながら、頑なに硬化しつつある、といった感触もある。

 午後7時、まだまだ充分に明るい時刻に、白塗りの集団野外劇がはじまる。
 たまたまこの数ヶ月前、彼ら維新派のプレ公演を私は観ているから、その動きの躍動には一種の懐かしさがシロップのようにかかっていて、さぁ、この先、この舞台はどうなるやらと革めてワクワクさせられる。
 公演開始後の最初の日曜公演というコトで、高い雛壇式の650席は満席である。
 舞台は広い。
 180度いっぱいに左右があり、奥行きも深い。
 体操、といって過言でない見事な集団によるダンス的シーン展開は、されど、ちょっと眠くなる。
 これといったセリフがなく、いっそ心地好いリズムの音響に支えられ、眠気が襲ってくる。
「カンカラ」は缶ケリの音に由来し、"銀河鉄道の夜"が下敷きにあるそう。
 悪童が仲間の一人をどうした弾みか死においやって、死したその少年と少年らが彼岸で出会うというのが骨子のようである。
 睡魔と戦いながら眺めるに連れ、陽がいつの間にか落ち、舞台はその彼岸のイメージのさなかにと運ばれていく。
 同行の人物をして学芸会のよう、といわしめた幻想シーンが展開し、白塗り一色だった舞台上の人物らは、異相、奇想、奇天烈、タキシード、ブタのぬいぐるみ・・ 色彩にあふれた死界のキャバレーといった満艦飾な気配で賑やかになる。
 広い舞台を縦横に使い、思わぬ高所をパラソルさした女優らが歩み、演じ、現われては消え、消えてはまた思いがけないトコロから出てくる・・。

 やがて、月がかかる。
 雲が動く。
 眼を舞台からそらして見上げると、いや、無理にそうせずとも、月、雲、煙突のシルエット・・ 荒涼でもなく、荒廃でもなく、嬉しいワケでもなく、悲しいワケでもない、ただ寂寥の気配に裏打たれた芝居とも現実ともつかない不思議な一瞬が、くる。
 華やぎの異界で死した少年と戯れた少年の前から、死した者が去ろうとする。
 奥行きのある舞台が活きる。
 白いシャツの死した少年が背景の闇に消えかかろうとすると、主役の少年(女優が演じてるんだ)が、
「また、遊ぼうな」
 叫ぶ。
 死した少年がゆっくり振り返り、
「うん、遊ぼうよ」
 殺されたはずの憎しみを消失させ、ただ、そう応え、消えていく。

 やがて、当初に見たダンス的動きの集団の演技がまたそこで繰り返され、
「遠や・遠や・遠や・遠や・遠や・・・」
 カタチを解体されたとおぼしき言葉が幾重にも厚く繰り返され、リズムの波となる。
 大きなうねりになる。
 左右の高い所から銀紙の雨が降りだし、静かに遠退くように、舞台は終わる。
 気がつくともう9時を廻っている。
 午後、海から眺めて異風だった舞台は暗夜に溶け込んで、「地獄の黙示録」の王国のイメージはない。

 
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