輝ける夜

 朝7時。
 夏ならとっくに明るい時間だけれども、冬の7時はまだ尚暗くて、一夜の余韻を惜しみつつ噛みしめているようなところがあって好まれる。
 好もしい人に別れを告げつつBARのドアをあけると冷気がいっせいに蜂起して襲い寄ってくるけれど、酔いが冷暗を防御して揺るがず、いっそその冷感は心地好い。
 馴染みのドアをくぐったのは午後の9時過ぎであるから実に10時間もそこに居たコトになる。ただそこに居、あちゃらこちゃらと店から店へと渡って跋渉(ばっしょう)するコトはないけれど、夜は時間が、早く、濃く、時に魔法めく極熱の気配を伴って煮え、蕩蕩とゆるく流れるかと思うとふいに急斜な急流のように音をたてて流れることもある。
 だから気づくともう朝の7時か、ということになる。
 朝帰りを続けていると、時に近隣から冷笑めいた視線と侮罵を浴びることもあるけれど、侮罵をつぶやく人は、夜の、闇にしかない機微をしらない。
 夜は時に白昼のそれ以上に輝いて目映く、時に豪奢で時に堅牢である。
 ただ、その光輝がもっぱら"個"にしか属さず、他者にはアルコールにおぼれて堕したとしか思われないところが痛いのだが、夜は人を説得させるに足る言質を含まない。夜は本質のところで云い訳をもたず、釈明も弁解も陳弁もない。それゆえ逆に、説伏もない・・。
 だから、そうやって朝の7時を迎え、店を辞する時の自分というカタチはかなり裸である。
 ナルシスのそれとして云うのではなく、汚濁がなく澄んだ裸である。その裸の心に冬の朝の薄暗い玲瓏が気持ちよいのだ。
 他者の眼にカタチがどう映ろうとも。
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