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Apollonia Paper Model Museum  
 
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1860年代。
女流作家ジョルジュ・サンドは、パリのアーチスト達が集うサロンにおいて大御所として君臨していました。
リストやショパンなどなどとの恋でも高名だったサンド…。
紫煙とワイングラスと論議が闊達に行き交うサロンの、花たる人でした。

その彼女が、「海中を旅する話を期待する」とジュール・ヴェルヌに告げたのが、『海底二万里』誕生の事の発端であったようです。

書き始めたのが1866年あたり。
ヴェルヌは38歳。サンド62歳の頃。

我々がよく知っているヴェルヌのイメージは髭をたくわえた壮年期や晩年のそれですが、『海底二万里』を書いてる頃の彼に髭はありません。
既に『気球に乗って5週間』、『地底旅行』、『月世界旅行』は出版されていて、いずれもがベストセラーになっています。おそらく、彼はその頃、海洋冒険談を一篇、描きたいとは念じていたでしょう。"海底旅行"はいわば必然として… 有ったでしょう。その想いをサンドが後押ししたのではないでしょうか。
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髭のないヴェルヌが『海底二万里』をエッツェル出版の「教育と娯楽誌」で連載を開始したのが1869年3月。
翌年の7月まで月2回のペースで連載され、連載終了と共にすぐに同社から単行本化されました。
たちまちベストセラーです。
フランスを皮切りに、イギリス、ロシア、米国他へと一挙に。
クリスマス・シーズンともなれば挿絵入り豪華版はプレゼント用の書籍として飛ぶように売れていました。

日本にはフランスでの原書が出て10年後の1880年に、翻訳本が出ます。
元号で云えば、明治の13年です。
その後はもう矢継ぎ早やな勢い。
数年の合間で『海底二万里』だけで3種、その他を含むと10数冊と、素晴らしい勢いで明治の日本にヴェルヌの小説は入ってきます…。勢い余って、英国人作家と紹介されたりもします…。

明治30年頃には、ヴェルヌの養分を吸って育った日本作家も登場し始めます。櫻井鴎村の{世界冒険譚シリーズ}は当時の日本少年が好んで読み、海軍大将・伊東祐亮や当時の海軍のえらいさん方の序文が入った押川春浪の『海島冒険綺談 海底軍艦』には血を沸かせ、肉を踊らせもしました。
好評の「海底軍艦」はたちまちにシリーズ化もされます。
今もってそうなのですが… 日本人は、何か手本があれば、その亜流を産み出す能力に長けています…。

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一方で…、この最初の、熱狂のような翻訳ブームが過ぎると、ヴェルヌは我が国の"文学者"からは疎んじられていきます。
大正の頃には、「子供向けの通俗的な科学思想の普及者」と位置づけられてしまうのです。
この1つの理由に、日本に入荷した英語版が、原書から逸脱した改訳版であったというコトがあげられます。
1870年代の英国の牧師ルイース・P・マーシャとエレナー・E・キングが訳したヴェルヌ作品は英国と米国で大量に販売され、これが日本に入ってきましたが… ひどいものでした。
原文が大量に削除されたばかりか、ルイースらは勝手な文章をくっつけ、加筆修正どころではない改悪品として、ばらまいたのでした…。
ヨロシクないのは… 彼らが伝道的布教を目指す徒として、ヴェルヌ作品を自分達が良くしたという信念をもって改作して販売したというコトでしょう。

この辺りのメチャっぷりが浸透して、事情を知らない間に英国でも米国でも、やはり… 「ヴェルヌは子供向けで文学作品じゃないよ」というコトになってしまい、それを鵜呑みにした日本の"文学者"達は右に倣え… してしまうのです。

 ※ 左はエッツェル社刊の豪華仕様単行本
   
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ヴェルヌのオリジナルが英語としてキチリと見直されたのは、100年の後、1960年代の半ばになってからです。
アポロ計画とヴェルヌの『月世界旅行』のあまりの類似もまた、ヴェルヌ復興の一助ともなりました。
ロケットの発射そのものが巨大なイベントになり、打ち上げ時には大勢の見物者で大変な賑わいになると彼は書き、事実、アポロ計画ではその通りになりました。
科学的知見のみでなく、社会現象にまで言及したヴェルヌの著作はこうして再評価されだします。

日本においても、英語から訳すのではなく、フランス語から訳すというカタチへと良い方向に少し… 向かい出します。ただ、今もって、ヴェルヌを"予言"とか"予見"といった科学的推移の範疇に留め置いて見る傾向はあるようで… "文学"として一段低く見られるという傾向は払拭出来ていないよう感じられます。

ちなみにディズニー映画『海底二万里』は1954年に封切られ、ノウチラス号のカタチを決定づけてしまう程の強いインパクトをみせました。

   
 
ディズニー版ノウチラス号

 

原作版ノウチラス号
米国の映画界ではデザイン・センスがずば抜けて素晴らしいモノが時に誕生しますが、このノウチラス号はまさに、その代表でしょう。
原作のカタチとはかけ離れてはいるものの、原作が示すカタチの本質を極めて上手に濾過した抽出物として、ポンとスクリーンに投影してくれます。1954年の『宇宙戦争』のマーシャン・ウオー・マシーンもそうでした。
「まったく違うが、まったく、そのものだ!」
というデザインへの深いアプローチは… 日本人には真似できない高みにあって、常々に羨望させられます…。
  自身の作たるノウチラスに関してのヴェルヌの興味は、外側より内側にあるようです。
記述の多くは外装ではなく内装に関してです。当然に内があって外があり、外があって内もあるワケだから、書く書かないは別にしてその比重は本来は同一なのだけども、生活空間としての船内に、とりわけ書斎的な部分においてヴェルヌの電圧と筆圧は高まっています。
『月世界旅行』のあの砲弾ロケットの内部描写もそうでした。
そして、この2つの作品に共通なのは、書斎、居間、図書室といった"箱"が、いかにも快適そうなアンバイにおさまっているというコトでしょうか。