|
湯追山浄土寺
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
|
岡山市から東へ、旭川を渡るとすぐに、平地の背として北側に竜ノ口山がそびえてきます。
そびえるという程に高い山ではなく、なだからな起伏をした僅か257mの隆起です。ただ、横に平坦な隆起ゆえ、南の平地より眺めれば、山というより、衝立(ついたて)を置いたように見えます。 この山裾にめだった建物が一つあり、これは湯迫温泉です。 湯迫、と書いて「ゆば」と読みます。 団体さん諸々、日々、ここにやってきますな。 私が小学生の頃はささやかでチッポケなもんでしたが、近来、営業力がしっかりしたのでしょうか、建物も大きくなり、で、日々、団体さんがバスでやってくるという次第。 周辺にコレといった大掛かりな観光資源がないので、なんだか、ここにお泊まりになっても気の毒にも思えますが・・。 この湯迫温泉までは我が宅から自転車で八分とかかりません。 温泉のビルの真裏に浄土寺があります。 今回の探訪は、その浄土寺です。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||
| _____________________________ | |||||||||||||||||||||||||||||||
| ともかく、温泉のビルの真裏なのですから・・ 遠方から眺めるコト可能という次第ではありません。地図で、湯迫温泉の裏側になにやら寺社があるという程度の認識でありました。 湯迫温泉の駐車場に至る坂をヨイショヨイショと自転車で登ると、その駐車場の裏手が、いきなり、浄土寺の境内となります。 誰もいない静謐な空間がフイに目の前に現れて、私はいささか狼狽しました。 えっ? こんなトコロに、これだけのものが・・ そんな新鮮な衝動を覚えさせられるまま、自転車を紅葉しきったモミジの木の下に留め、フラフラと歩いてみました。 小学生の頃以来、ながく、ズッと湯迫温泉は山の斜面にあると思い込んでおりましたから、その背部にそこそこな面積の寺があるというのは、なにやら不意打ちを喰らったような気分です。ちなみに、山門の所にいる美女二人は、この山門からわずか20mと離れない湯追温泉の、その泊まり客。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
| _____________________________ | |||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||
| 正式な呼称は「湯迫山浄土寺」。 寺伝によらば、「天平勝宝元年、長勅命に依って報恩大師備前国中に四十八箇寺を創立す。当寺は其の一寺なり」だそうです。 天平勝宝(てんぴょうしょうほう)元年は西暦で749年です。 8世紀。 これは・・ 古いといわざるをえません。日本史の年表でみると、天平勝宝四年に奈良の大仏の開眼供養がおこなわれておりまする。 聖武天皇、称徳天皇、弓削道鏡・・ そういった方々の時代です。 日本が仏教国家として動き出した頃です。万葉集が編まれるのが759年です・・・。 今から1252年も前、浄土寺の前身となる寺が建立された頃、むろん、湯迫温泉はありません。想像する以外に手立てがないですけど、1200年前のここには、多くの寺坊が立ち並んでいたというコトらしいのです。 それは一帯の地名(あざ名)が寺坊を意味するトコロのものであるから、そう推測されるそうですが、日本という国が仏教を柱とした国の形を取り始めた、その先鋭としての場所が、まさにここであったというワケで、なにやら、歴史というものを手近に引き寄せたようなウレシイ気分が湧いてきました。 やがて寺所は狭まり・・ 今の建物は江戸中期の建立のよう。 鐘楼を左にした本堂は、あまり大きくはないけれども、瓦屋根のどっしりした安定感が風格を一段と滲ませて、背景の樹木とよく調和しています。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
| ________________ | |||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||
| さて。 ここで特筆すべきコトが一つあります。 俊乗坊重源という人物が出てきます。 しゅんじょうぼうじゅうげん、と読みます。 鎌倉の時代です。 鎌倉の時代に焼け落ちた東大寺を復興させた張本人、それが重源です。 重源さんは61歳のおり、再建の指揮をとる役職に命ぜられた高僧です。大勧進職(だいかんぜんしき)という役職です。 この記事を書くためにちょっと調べたら、この方、偉い人物です。この方に比類する人物が今はいないのではないかと邪推したくなるホドに偉い人でありました。 東大寺の事を書いた本には必ず登場する人で、東大寺には重慶上人座像という、運慶だか快慶だかが作った非常に秀逸な木像があって、これは国宝です。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
| ____________________ | |||||||||||||||||||||||||||||||
| ま、それはさておき、その重慶さんが東大寺復興がために各地を訪ね、寄付なり喜捨なりを呼びかけています。 浄土寺にも来ます。 1日のみやって来たという次第でなく、数年、滞在したようです。 浄土寺を含むほぼ全ての寺坊が東大寺復興に協力している時代です。 浄土寺界隈からは瓦が相当数出土しているそうです。東大寺の瓦と同じもの。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||
|
_________________
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
実際、今建っている浄土寺本堂の軒の屋根瓦には「東大寺」の刻印のある瓦があるそうです・・。 で、重慶さんは滞在中に、庶民施療のために大掛かりな「湯屋」を作ったそうです。 湯屋すなわち温泉です・・。 発端は寺社内にある湧き水、小さな泉です。 この湧き水と重慶さんを関係づける直接の資料はありません。 が、それでも、この施療のための温泉施設から「湯追山」という地名が生じたのはマチガイないコトのように思えます。 さて、そうすると・・ ヤボったいと子供の頃より思っていた湯追温泉というもののカタチが、かなり、修正を余儀なくされてきました・・ むろん、だからといって、この湯追温泉を利用してみよう、泊まってみよう、湯につかってみよう・・ などの思いはありません、ヨ。 湯迫山浄土寺。 ブラリお気軽にやって来たこの温泉の真後ろの寺に、思いがけない物語があるコトを知った私です。 これを愉悦というのですか? そんなコトを今更に知ったとて一円の得にもならんぞい、という感想もありますけど・・ どうかしら? 損得でない、合理でない、私にとっての充足があったコトは確か、です。 それも、こんな間近に・・・。 |
||||||||||||||||||||||||||||||
| 浄土寺境内にある「源泉」とその「温泉由来」・・ 屋根で蔽った手前の源泉はカギがかかっていたけれど、その背後の方にはタマタマかしら、カギがかかってなかったので、失礼して内部を写真でパチリ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
| ________________ | |||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||